2015年01月の記事一覧

2015年01月15日 ---- ボス

現代学生百人一首

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新聞各紙が朝刊で「現代学生百人一首」を紹介している。各紙とも幾つかの歌をピックアップしコメントを付けている。心打たれる歌、「頑張れ!」と応援したくなる歌、「オレもそうだったな」と懐かしくなる歌、ほほえましい歌、悲しい歌・・・学生たちが今のありのままの心境を三十一文字に巧みに詰め込んでいる。中でも私が特に気に入ったのが朝日新聞の「天声人語」が紹介している中学1年生の男の子の歌。≪「勉強は?」と聞かれる度(たび)に見せつける中指にあるふくらんだ皮フ≫◆中学1年生でペンだこは少しかわいそうだがなんとも微笑ましい。きっと優しいけど教育熱心なお母さんが「勉強してるの?」と彼にとってはうるさく感じるほどに聞いてくるのだろう。「皮フ」との表現がまた良い。かわいらしい。私も受験時代はペンだこができるほど「書いて覚えた」ものだが我が家の息子・娘が「書いて覚えよう」としている姿を一度も見たことがない。今の学生は「書かずに覚える」ことができるかもしれないなどと思っていた。◆もう10年も前だろう。たしか「週刊文春」の中のどなたかのコラムであった。そこでは短歌ではないがやはり学生の作った俳句を紹介していた。その二つの句が忘れられない。≪転校を打ち明けられた二人乗り≫ ≪クロールの息継ぎを見て恋終わる≫ 中学生の作品だったと思う。 どちらとも女子の作品であったと記憶する。懐かしい香りのする純粋な句。私も中学生時代には甘酸っぱい思い出が多い。楽しかった。夢もあった。学生時代、青春時代・・戻れるものなら戻ってみたい。◆今朝の「天声人語」は他の作品にも触れていた。≪将来の夢を問われて黙り込む幼い頃は三つも言えた≫・・・徐々に徐々に夢は小さくなっていく。今年、私は58歳になる。

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2015年01月14日 ---- ボス

初老紳士の教え

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その話をしてくれたあの初老の紳士はいったい誰だったのか思い出せない。あのときたまたま隣の席に座った人だったのだろうか?いや違う、彼は私の向かいの席に座っていた。なにか仕事の打ち合わせをしていたような・・・。誰だったのかどうしても思い出せない。顔と声は覚えているのに・・・。場所は平河町にある半地下の喫茶店。今から25年ほど前、私がサラリーマンを辞め、我が家には長女が生まれたばかりの頃だった。◆穏やかにそして茶目っ気たっぷりにあの初老の紳士は自分の経験論を話してくれた。「キノシタ君ね、キミは若い。若くて元気だ。だけどカネはそれほど余裕ないでしょ。僕もそうでした。家族を養うので精一杯。キレイな女性と浮気するような余裕はありませんでしたよ。・・・・・・40歳代の後半になって給料が随分と上がりヘソクリもできるようになったけどその頃は仕事がとても忙しくてね・・自分の時間が持てなくなりました。銀座ではそこそこモテたのですが浮気をするような時間を作ることはできませんでしたよ。・・・・・・60歳手前になっておカネも時間も少し余裕ができたのです。やっと浮気ができる状況になったのです。カネと時間があれば60歳でもオトコはモテるもんなのですよ。ところがね悲しいことに私はもうカラダが疲れ切っていて役に立たないのですよ、アチラが。・・・・・ずっと浮気願望はあったのですが結局はそんなことできませんでした。男ってのは寂しい生き物なんですよね。」◆若いころはカネがない。カネができたら時間がない。カネと時間に余裕ができたらカラダが言うことをきかない。・・・寂しいものだ。◆かくして私もあの初老の紳士と全く同じ道を歩み続けている。カネと時間に余裕ができたとは言えないがカラダは確実に疲れきって言うことをきかなくなってきている。「浮気したい」と強く願っているわけでもないが振り返ると寂しい人生だったのかもしれない。◆「いや、これでいいんだ。これが幸せなのだ。」と合理化規制を働かせ自分を慰めている。今日は早朝6時から1時間、自宅近所のスタジオでみっちりとヨガのレッスンを受けてきた。頑張ろう。

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2015年01月13日 ---- ボス

マスク

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欧米では病院内や食品工場など以外でマスクをする者を見かけることがない。中国やベトナムなどでは大気汚染対策でマスクをしている人を見かけるが風邪でマスクをする者はいない。恐らく風邪対策のために街なかや職場でマスクをしているのは日本人だけだろう。ちなみに私は就寝時にマスクをするが昼間はしない。かっこいいものではない、と思っている◆マスクにどの程度の予防効果があるのかは知らないが健康に関するものだけに「みっともないよ。日本以外では誰もしていませんよ」などと注意するわけにはいかない。我が国では誰にでも「マスク着用の自由」は保障されている。「マスク着用の自由」に対して意見するつもりはないのだがマスク着用にはそれなりの礼儀があるのではないだろうか?と思う◆初対面の人と挨拶するのにマスクを着けたままでは失礼であろう。会議の場では「風邪気味でして・・。申し訳ありませんがマスクをしたままで・・」などとの断りを述べるべきであろう。それが気配りというものだと思う。先日、ある大会社の受付で女性がマスクをしたまま客に接していたのを見て「情けない!」と思った◆若い女性が電車の中で平気で化粧をしているのを見かけることが多くなった。「電車で化粧」を見て「みっともない」と思わない者が増えてきているようでもある。「誰に迷惑をかけているわけじゃなし、いいじゃないの」ということだ。◆マスクも同様。「人様から病気をもらわぬよう、人様に病気をうつさぬように着けているのだから、いいじゃないの」ということのようだ◆「見た目」より「実用」ということらしい。働く女性の服装が徐々にだらしなくなってきた。男性もスーツ、ネクタイをする必要のない職種が増えてきた。夏場は国会の中でもクールビズだ。外見を気にしなくなった日本という国がどんどんとだらしなくなっているように私は思えてならない。◆「人は見た目が大切」とまだ私は信じている。

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2015年01月09日 ---- ボス

表現の自由

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北朝鮮の金正恩第1書記暗殺計画を描いたコメディー映画「ザ・インタビュー」の配給元であるソニー・ピクチャーズエンタテインメント(SPE)がサイバー攻撃を受けた。捜査したFBIはサイバー攻撃を仕掛けたのは北朝鮮であると断定した。米国は北朝鮮を再度「テロ支援国家」に指定し経済封鎖等の圧力をかけることを検討しているという。一度はこの映画の上映を中止すると決めていたSPEに対し「米国はテロには屈しない」という姿勢を明確にするために上映を促し、結果SPEは公開に踏み切った。「テロに屈しない国」アメリカは強い。◆昨日パリにある政治風刺の雑誌「Charlie Hebdo」(CH)の本社に銃を持った2人の男が乱入し、12人が死亡、多数の負傷者が発生した。「イスラム国」あるいはアルカイーダのテロとみられている。CHは「イスラム国」指導者の風刺画をたびたび掲載していた。フランスでも「テロに屈しない」との強い意思表明のための大規模デモが起こっているという。◆双方とも「(表現の自由)VS(テロ)」である。そして「テロには屈しない」という強い意志。◆私個人的には「テロには屈しない」という強い意志表示は応援したい。いかなるテロも許してはならないと思うし、テロに屈しないことがテロ自体を減らすことになると思っている。そうは思っているものの「でも、どうなの?」と問いかける自分もいいる。◆個人でもそうだが国家間、宗教間、組織間で価値観が大きく異る場合がある。こちらでは善であってもあちらでは悪であることも多い。すべてこちらの価値観で物事を進めることに対しもう少し慎重になるべきではないだろうか。こちらには「表現の自由」があってもあちらにはそれがないのだから。◆コメディー映画であちらの国家の元首の首が吹っ飛ぶシーンが必要なのか?もう少しあちらに配慮すべきではなかったのか。我々日本国民でも、あちらの国が作った娯楽映画に天皇陛下や総理大臣のそっくりさんの首が吹っ飛ぶシーンがあれば許すことはできないだろう。◆日本人仏教徒は穏やかで寛容であるので「何妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」を「ナンミョー ホーレンソー」などと大声で歌われてもにっこり笑って返す。成田山や明治神宮の初詣で大勢の参拝客の中で「神はあなたを救います。聖書を読みましょう。イエスキリストは・・」などとキリスト教徒が布教活動をしていてもなにも言わない。ところがこれがイスラム教徒に対してコーランを貶したりメッカ巡礼の場所で仏教の布教活動をすればとんでもないことになることを皆知っている。◆こちらとあちらでは価値観が違うのだ。こちら側の「表現の自由」というものは絶対的なものではない、ということを一度じっくりと検証すべき時期になっているのではないだろうか?

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2015年01月08日 ---- ティー子

未年になりました

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遅ればせながら・・・、明けましておめでとうございます。

先日仕事始めの日に、会社で愛宕神社へ初詣に行ってまいりました。比較的早い時間に行かれたおかげで、混み始める前に参拝を終えることができました。
今年の初詣、みなさんはどんなお願いをしましたか?♪
私は健康第一、その他は個人的なお願いを一つ、二つ・・・欲張っちゃいました。

本年もエアロをどうぞよろしくお願いします。

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2015年01月07日 ---- ボス

ふるさと納税

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都会と地方の経済的格差が開いているという。「地方再生」という言葉をよく耳にするようになった。政治家も官僚もそれなりに方策を考えているようだがなかなかうまくいかない。年収数億円のテレビ司会者が「アベノミクスにより格差は開く一方だ」と深刻な顔をして訴えているのは滑稽でもある。◆厳しい言い方になるが私は「地方は政治のせいにして自分で努力することを忘れているんじゃないの?」と思うことがある。地方の方々に聞きたい「あなたはどんな努力をしているの?格差是正に向けて明らかに都会の人以上に努力していると言えますか?」と。◆「ふるさと納税」という制度がある。地方税を現在の居住地ではなく故郷に納めることができる制度。私の例で言うと現在住んでいる渋谷区ではなく大分県佐伯市に納めることができる。(実は日本中どこの自治体へでも納めることができる制度) 私は毎年、かなりの額を佐伯市に納めてきた。黙って渋谷区に納めるのと違ってわざわざ銀行へ言って手続きをする。5千円以上の手数料もかかる。それでも私を育ててくれた佐伯市のため、佐伯市へ恩返しと思って続けてきた。◆ところが佐伯市の対応はいかにも事務的、お役所的なもの。形式的なお礼を述べる文書と粗品が送られてくるだけ。誠意も工夫もない。「都会で稼いでいる人間が郷里に送金するのは当然」とでも思っているようだ。それでも数年続けていた。憤慨したのは納税のお礼に「佐伯市歌」のCDが送られてきたとき。いまどき出身地の聞いたこともない「市の歌」のCDを送られて喜ぶ都会人が居ると思うのか?あなたはこれ貰って嬉しいの?・・腹が立った。情けないと思った。意見をしようと佐伯市のホームページで「ふるさと納税」のページに行くとそこには直接記入できず、意見を書くページをプリントアウトして手書きで記入後FAXで送信してくれとある。これじゃ「意見など聞きたくありません」と言っているのと同じ。このような例はおそらく佐伯市だけではないだろう。◆やはり役人は役人。「納税してくれた人はどんなお礼が嬉しいのだろうか?」と真剣に考えることがないのだろう。◆私は東京で同窓会の幹事をしている。同窓会があっても「なあ皆さん、僕もやっているけどみんなでふるさと納税しようや」と誘えないのである。私が大分県の役人だったら年末年始は職員総出で大分空港に立ち、都会からの帰省客に「ふるさと納税」をお願いするのだがな。「ふるさと納税」してくれた方々にはそれなりの凝ったお返しをするのだがな。同窓会の幹事を見つけ出して「みんなを誘って『ふるさと納税』してよ」とお願いするのだけどな。・・・地方の役人と東京の経営者には感覚に大きな差がある。私は当分「ふるさと納税」をすることを辞めた。めんどくさいのである。

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2015年01月06日 ---- ボス

丁寧語

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昨年の暮れ、当社の協力会社各社を招いて忘年感謝パーティーを開いた。前年に続き今回もコンラッドホテルの宴会場を借り切っての華やかな楽しいものになった。当社の職員も嬉しそうであった。そのパーティーの冒頭のこと。当社の女性スタッフの岡崎さんがマイクを持った。「これからエアロファシリティー社の忘年感謝パーティーを開催します。私は本日このパーティーの進行役を務めます岡崎と申します。どうぞよろしくお願いいたします。」と言った。嬉しかった。「さすがオカザキ!」と感心した。◆最近は「進行役を務めます・・・」とはなかなか言えない。結婚式であろうが謝恩会であろうがアカデミー賞授賞式であろうが司会者はなぜか必ず「本日の進行役を務めさせていただきます〇〇です」と妙な日本語を使う。◆「いたします」という美しい謙譲語がある我が国の言葉がいつのまにか「させていただく」といううわべだけの妙な謙譲語に駆逐されてきている。使う本人は丁寧なつもりであろうがそれを「おかしい」と思う常識人も多いだろう。◆この「させていただく」という変な日本語が普及したのはいつごろからなのだろう。私の記憶では26,27年ほど前か。当時通勤に利用していた西武線、ホームのアナウンスでそれまで「ドアが閉まります」と言っていたのがある日「ドア閉めさせていただきます」に替わった。私は「バカじゃないの?」と思ったことを思い出す。

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2015年01月05日 ---- ボス

新年の小さなグチ

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あけましておめでとうございます。今年も「スカイアゴラ」をよろしくご指導お願いいたします。◆「なんとなく 今年は良いことあるごとし 元日の朝 晴れて風無し」・・・箱根で元旦を迎えた私は露天風呂から初日の出を拝みながら啄木の歌を口ずさんでいた。晴れて風のない元旦には毎年この短歌を口にしている。本当に良い年になってほしい。◆元旦におせちをいただきながら「元旦というのはね、元日のことではなく元日の朝のことなんだよ」などと息子(慶応大学3年生)娘(社会人4年生)に講釈を垂れていた。ふと啄木の歌を思い出し「なんとなく今年はよいことあるごとし・・・・この続きは?」と下の句を息子、娘に問うた。双方とも「知らなーい」との返事。「今どきの慶応生はこの歌も知らないのか・・・」私は不満だったが優しく下の句を教え解説した。彼らは「へえー、そうなの」と言ったが興味なさそうだった。◆おせちの中に「なます」があった。娘が「わーい、なますだ。私、なます大好き」と言って嬉しそうに食べていた。すると「なますってなんなの?」と慶応3年生が聞いてきたので、また少し講釈を垂れた。そしてうるさい教授がまた質問を出した。「何に懲りて膾(なます)を吹くの?」・・・慶応3年生と社会人4年生はまたしても「知らなーい」◆啄木の歌も、「羹(あつもの)に懲りて膾を吹く」も知らない慶応3年生がすでに複数の企業から内定をもらっているという。正月早々、日本の将来が不安になった。◆ふと救いの言葉が見つかった。「そうだ、キミたちは『ゆとり教育』で育ったからな。ダメだな、『ゆとり教育』なんて」。そう言った私に社会人4年生がすぐに反論してきた。「おとうさん、私たちは『ゆとり教育』じゃないよ。円周率は3.14って習いました」だと。◆我が家の教育水準が低すぎたようだが、それにしても「ゆとり教育」の弊害は大きいと今更ながら思った。「3.14」はともかく彼らはまさに「ゆとり教育」時代に義務教育を過ごしていた。◆正月早々、グチになったが、まあまあ平和な年明けではあった。

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2025年04月10日 ボスの
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  • 午前新規事業計画・人事考査
  • 午後事業計画
  • 夕方銀座某所で密談
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