◎2021年12月24日 ---- ボス ◎
- 9勝6敗が最高!
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私の麻雀の師匠であり、会計学の先生でもあるFさんがいつも言う。「キノシタさん、人生は9勝6敗くらいが一番幸せなんですよ。それ以上を望んでもいいことはありませんよ」と。「15戦全勝なんて人生、面白くないでしょう」とも言う。「そんなものですかねえ」と私は答える。◆さて、私の人生はこれまでどうだった? 年末でもあり、来年は65歳になることもあり、振り返ってみた。5歳おきに〇✕を付けてみた。F先生曰く「最初の5年、5歳までは全員〇から始まります」ということで・・・・「~5歳」=〇、「~10歳」は✕(父を亡くし苦しい生活)、「~15歳」=〇(中学校の生徒会長など)、「~20歳」=〇(青春まっさかり)、「~25歳」=〇(恋多き学生生活)、「~30歳」✕(怠惰な学生生活を反省、社会人は厳しい!)、「~35歳」=✕(劣等感の塊り。「友がみなわれより偉く見ゆる日よ・・」)、「~40歳」=✕(会社を興したが不安な毎日)、「~45歳」=✕(家庭を顧みず仕事仕事、それでも不安)「~50歳」=✕(不安&不安定)、「~55歳」=〇(少し安定)、「~60歳」=〇(子育て終了、心に余裕)「~65歳」=〇(そろそろ終活準備)◆ということで、ここまでで7勝6敗。さあ、これから頑張って「~70歳」「~75歳」を連勝したい。連勝できれば見事9勝6敗になる。「もう負けられない」などと気負うことなく、口笛を吹きながら連勝できますように。来年は初詣にも行けそうだ。
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◎2021年12月20日 ---- ボス ◎
- 「暗い」と不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう。
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スマホのアプリ「radiko」のおかげでラジオを聴く時間が多くなった。毎週末のゴルフ場への往復のクルマの中、渋滞の苦痛を和らげてくれる。bluetoothで聴くことのできる防水スピーカーを購入したので毎夜、風呂の中でも聴いている。「ジャズ」「フォーク」「シャンソン」「懐かしの歌謡曲」「ハワイアン」など20を超える番組が私のradikoのお気に入り「マイリスト」に登録されている。ラジオにはテレビと違った魅力がある。◆CMもテレビで流れるものとは全く違う。声と音だけで、いろんなことを想像させてくれる。想像するのは実に楽しい。そんなラジオのCMの中で私が最も気に入っているのがカトリック教会が提供する「心のともしび」という番組の中のもの。(「心のともしび」はニッポン放送の「徳光和夫とくモリ!歌謡サタデー」という番組の中のコーナーとして私は聴いている)◆「『暗い』と不平を言うよりも、すすんで灯りを点けましょう」・・素晴らしい言葉。ゴルフ場へ向かうクルマの中、私はこの言葉が流れると必ず復唱する。何度も何度も復唱する。自分に言い聞かせるように「暗いと不満を言うよりも、進んで灯りを点けましょう」を繰り返す◆私がまだ2歳の時、姉の通う幼稚園に毎日着いて行った。するとかわいそうに思ってくれたのか園長先生が特別に私の入園を許可してくれた。その幼稚園の名前が「ひともし幼稚園」。わたしが「ひともし」の意味に気づいたのはそれから50年以上も経ってからのことだった。「火灯し」幼稚園の小さな記憶も大切にしたい。◆まだまだ私が点けることができる灯りはたくさんある。少しでも多く、火を灯したい。
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◎2021年12月17日 ---- ボス ◎
- センスない街、広島
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広島出身の友人も多い。みな明るく優しい紳士淑女だ。サンフレッチェ広島も頑張っているし、広島カープも魅力あるチーム。広島カープの監督だった野村謙二郎さんは私の中学、高校の後輩でもある。また、我が社のパーティーでは広島出身の及川奈央さんに司会をお願いした。気配りのきく素敵な超美人であった。魅力ある広島出身者は多いのに、広島の街は昔からセンスがない。最近、ますます酷くなっているようだ。
◆火曜日から一泊で広島に出張してきた。夜は広島市内一番の繁華街で美味しいお酒と料理を楽しんだ。お酒と料理は美味いのだが、そして広島県民はみな親切だが・・・。◆「なんじゃ、このイルミネーションは!!」とぶったまげた。30年前の台湾か?20年前のカンボジアか?大通りの脇のイルミネーションは赤あり白あり緑あり青や黄色まである。統一性がまったくない。これは、ちと酷すぎます。◆そういえば広島駅近くの広島最大の地下商店街の名前が全くオシャレでない「しゃれお」というものだった。電飾といい商店街のネーミングといい、およそ「政令指定都市」とは思えないセンス。◆広島の方々、もう少し頑張ってくださいよ! ◆(失礼だとは思いましたが、誰かが口に出して指摘しないと、このままだと、広島県民が陰でバカにされちゃいますから思い切って書きました。ごめんなさい。)
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◎2021年12月13日 ---- ボス ◎
- 悲しいクリスマス
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その年の正月に突然父を失った。我が家の四人が乗るタクシーが大事故を起こした。気付くと父は助手席で首から真っ赤な血を噴いて死んでいた。母は生きてはいたが顔を40針以上も縫う大けがを負い、3か月間入院し、退院後も後遺症に悩まされ続けた。私は生え変わったばかりの前歯を失った。そして我が家は急に貧乏になった。私は小学2年生だった。◆母と姉と私の三人はそれまで育った大分市を離れ、母の出身地である佐伯市に移った。大分市では一軒家に住んでいたが佐伯市では「間借生活」になった。一階にはK君家族が住んでいた。K君は優しく、K君の両親も非常によくしてくれた。K君は私の同級生であった。◆大きな家の一階にはK君一家が住み、その二階の部屋にうちの家族三人が住んだ。K君の家の勝手口が我が家の玄関になった。K君の自宅の廊下を通って奥の階段を上がった二階の和室が我が家だった。風呂、便所はK君の家庭のものを使わせてもらっていた。三日に一度、五右衛門風呂を沸かす当番を私は引き受けた。◆K君の家に遊びに行けば二階にモトミ君もいる。同級生が二人いる家だから、多くの友達がいつも遊びに来ていた。私とK君はいつも1階のK君の自宅で多くの友達と遊んでいた。◆父を亡くして初めてのクリスマス。昨年までは「サンタさん、なにをプレゼントしてくれるのかなあ?」と楽しみにしていたが、その年のクリスマスイブに母から「お父さんが死んだから我が家はおカネないの。クリスマスプレゼントもないよ」と言われた。私は驚いた。小学三年生になり「サンタさんなんていないんだ」とは思い始めていたが、それでもクリスマスプレゼントが届かないということはショックだった。母は厳しい顔をしていた。いや、悲しそうな顔をしていたのかもしれない◆クリスマス、12月25日は朝から大勢の友達がKクンの家、つまり我が家の1階に遊びに来た。下から声がかかる。「モトミ君、一緒に遊ぼう」。下りていくと友達はみな、今朝サンタさんからもらったプレゼントを持ってきていた。自慢げに見せあいこをしていた。「いいなー。オレもそっちが良かったなー」などと人のプレゼントを羨ましがっている子もいた。◆「モトミ君はサンタさんから何もらったの?」誰かが尋ねた。なんて答えたのか覚えていない。とてもとても悲しかったことだけを覚えている。「世の中には僕よりも可哀そうな子供たちがいっぱいいるんだ」・・そう分かってはいるが、なんの慰めにもならない。「父ちゃんが死んで僕だけサンタが来ない」・・寂しく悲しいクリスマス。それでも泣くこともせず、悲しい顔も見せず、明るく友達と遊んでいた。健気だった。◆街にクリスマスソングが流れるこの季節になると毎年必ずあの日のことを思い出す。思い出すと涙が止まらない。「よく頑張ったな」と子供の頃の自分を誉める。50年以上も経ったのに、また今年も何度か涙を流している。
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