◎2022年05月07日 ---- ボス ◎
- テレビ中継はつらい
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漁港からの中継。ラッシャー板前がマスクを着けてしゃべっている。聞き取りにくい。「獲れたてのカツオです!いただきまーす」と言った。言った後、マスクを外してカツオを一切れ口に入れる。すぐにマスクをしてそれから「うーん、すごく美味いです!」と。こっちは「そんな漁港で回りに人もいないのに、マスクを着けたり外したりせんといかんの?」と突っ込みたくなる。◆地震速報もそうだ。青空の下、女性記者が白いヘルメットをかぶって「この辺ではコンビニの棚から商品の多くが落ちるなど・・」と説明している。その記者の向こうに見える住人は誰もヘルメットなど着用していないのに。◆コロナ対策のマスクにしろ地震被害に備えるヘルメットにしろ、あまりにも不自然な「予防行動での中継」が目立つ。きっと彼らは中継が終わった瞬間にマスクを外しヘルメットを取るのだろう。◆おそらくこんなバカげた中継をするのは日本だけだろう。日本には妙な「正義の人ぶる」クレーマーが多いからなのだろうか? それにしても情けない。中継記者はラッシャー板前が可哀そうに思える。いや、それとも彼らもまた「これは大丈夫でしょ」と言うだけの勇気がないのか?
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◎2022年04月28日 ---- ボス ◎
- ソ連
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その当時の指導者はアンドロポフかチェルネンコだったと記憶している。TBS テレビがスタジオに数十人のソ連人を集めてインタビュー番組を企画した。アナウンサーが意地悪い質問をする。「あなたの国では『アンドロポフのバカ』などと言えないのではないですか?」ソ連人が答える「アンドロポフは偉大な指導者です」TBSが聞く「あなたがアンドロポフをどのように思っているのかを訪ねているのではありません。もし、誰かが『アンドロポフはバカだ』と思っても、『アンドロポフはバカだ』とは言えないのではないですか?」ソ連人は怒ったように声を高める「アンドロポフをバカだと思う人などいないでしょう。思ってもいないことをなぜ言わなければならないのか!」TBSはさらに聞く「そうじゃないんです。もし『バカだ』と思った人がいたら『アンドロポフはバカだ』と言えるのですか、と聞いているのです。わが日本では「中曽根総理はバカだ!」と思っている人がそれを声に出して言うことができますよ」◆結局、TBSのアナウンサーはソ連人の口から「バカだと思ったらそういうことを口に出す人もいますよ」というような回答を得ることができなかった。「書記長はバカだ!」と「思っている人がいない」のか「思っていても誰も口にしない」のか「口にすると逮捕されるから言えない」のか「口にすると殺されてしまうのか」何も分からなかった◆あれから40年くらい経っただろう。ソ連は解体しロシアができた。今のロシアは40年前のソ連と同じ。「プーチンはバカだ」と思ってるのか思っていないのか、ロシア国内に残っている人は誰も口に出さない。相変わらずヘンな国だ。不幸な国民だ。
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◎2022年04月27日 ---- ボス ◎
- 欲しいモノから逃げるのは?
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「デパートに行きたいな。私、デパート大好きなの。でもデパートに行くとまたいっぱい欲しいモノが見つかっちゃう。欲しいモノができても私はおカネがない。欲しいモノがあってもそれが手に入らないと辛くなるでしょ。悲しくなるでしょ。だからデパートに行かないの。我慢してるの」◆娘が社会人になったばかりのころ、そんなことを言っていたのを覚えている。「それなら一所懸命に働いてお給料が上がるように努力しないといけないね」などとは言えなかった。少々働いても、努力しても、大会社のOLの給与などは年間5%も上がることはない。彼女の努力だけでは無理だった。◆「なにが欲しいの?一緒にデパートに行こうか。父さんが買ってあげるよ」と言ったことが実は何度かある。「甘やかしてはいけない」と思いつつも娘の喜ぶ顔を見るのが私にとっても最高の喜びだったから。それでもやはり「甘やかしてはいけない」と私は思い、娘も「甘えてはいけない」と遠慮することが多かった◆娘のことから自分のことへと話は変わる。サラリーマンを辞めたころから「欲しいモノ」が増えた。「お金が欲しい」「安定が欲しい」「子供たちの健康が欲しい(子供たちが幼いころ大病した)」「仕事(受注)が欲しい」「家が欲しい」世の中には欲しいモノばかりだった。そしてそれら欲しいモノの多くは「一所懸命働いて努力すれば、やがて手に入るのではないか」と思っていた。そこが大企業OLの娘と、リスクを冒して起業した私の違うところ。◆私は一所懸命に働き、努力した。結果的にあのころ欲しかったモノの多くは手に入った。確かに一所懸命に働き努力もしたが、いま冷静に振り返ると「運」が良かった。部下に恵まれ、友人に恵まれ、家族に恵まれ、時代の流れに恵まれた。運が良かったから多くの「欲しいモノ」が手に入った。◆都会で暮らしていると、還暦を過ぎても新たに「欲しいモノ」が見つかってしまう。(恐らく田舎に暮らしていると新たに「欲しいモノ」は見つかりにくいのではないだろうか。私はそう思っている)還暦過ぎて見つかる「欲しいモノ」はまず手に入らない。諦めるしかない。それでも欲しい。「欲しいモノがあってもそれが手に入らないと辛いからデパートへ行かない」と言った娘の言葉を思い出す。◆娘は「デパートへ行かない」ことによって自分が辛くならないようにした。私はそろそろ「田舎へ引っ込む」ことによって「欲しいモノ」が見つからない生活にしようかなどと考え始めている。
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◎2022年04月26日 ---- ボス ◎
- ファジーの魅力
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「相手に不愉快だと感じさせずに、結果的に自分の主張を飲ませることができる人」が「コミュニケーション能力の高い人」なのだ、と部下たちに指導している。相手の考えが明らかに間違っていても「それは間違いですよ」とすぐに言うのではなく、「なるほど、そういう考え方もありますね」と一旦受け止めておいて「でも、こういう考え方もあるんじゃないですか?」と切り返す。そして「どうでしょう?」とあくまで謙虚に反論するのがコミュニケーションのコツ。◆理系の学校を出た人たちは拙速に白黒をつけたがる傾向が強いように感じる。「答えは、真理は、ひとつしかない」との意識が高いからなのだろう。社会人になれば「黒いウサギ」「青い血液」「進めの赤信号」「お金をもらえない仕事」「理不尽なことを要求する上司」など、決して答えが一つではないことが多い。いや、ビジネス上のほとんどのジャッジには「それが正解」というものは無いだろう。後から振り返って「あの時のジャッジは正解だったな」ということなのだろう。◆相手を尊重し、そして柔らかく、ファジーに落としどころを探るのが上級の大人なのだろう。私も理系卒の経営者として反省することも多い。
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