2020年06月の記事一覧
◎2020年06月04日 ---- ボス ◎
- 「幸せ」も誰かと比べて判断している
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「顔がキレイ」「頭がいい」「走るのが速い」「ゴルフがうまい」「お金持ち」これらの表現はすべて基本的に相対論である。その人がいる回りと比べているだけ。回りに美人がいなければ彼女は美人になる。回りに頭のいいヤツがいなければ彼が頭のいいヤツになる。金持ちだってそうだ。回りが貧乏人ばかりだったら彼は金持ちになり、回りが金持ちばかりなら彼は貧乏になる◆おそらく「幸せ」もそうなのだろう。多くの日本人は北朝鮮に生まれた人は不幸だ、などと言う。「日本に生まれただけでも幸せ」などと言う。私もそう思う。◆だが何も知らない北朝鮮の人々は自分の回りと比べることしかできず、意外と「自分は幸せだ」と思っているものだろうな。北朝鮮で最も不幸な人は、国外の幸せな生活を知ってしまったあの人たちかもしれない。
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◎2020年06月02日 ---- ボス ◎
- 当社顧問 Mさんが退職されて
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昭和時代の青春学園ドラマは設定が決まっていた。登場人物は「やんちゃな学生たち」「熱血教師」「マドンナ先生」「厳しい教頭」「優しい校長」。学生たちに対して教頭が厳しく接する。熱血教師はマドンナ先生と組んで、学生たちを応援する。教頭はいつも憎まれ役。◆我が社を設立して約25年。10年前まで私は「厳しい教頭」役と「優しい校長」役を演じ続けていた。10年前、一人二役に疲れ切っていた頃、我が社に顧問としてMさんが入って来てくれた。Mさんは私に大変気を使ってくれた。疲れている私に対してMさんは「『厳しい教頭』の役は私が演じます。社長はどうぞ本来の『優しい社長』役に徹してください」と言ってくれた。有言実行、それ以来Mさんは「やんちゃな若い社員」に厳しく接してくれた。もちろん愛情を持って。◆そのMさんがコロナ禍の最中、三月末で退職された。コロナのために「お別れ会」もできなかった。Mさんが抜けて2か月経った。私はまた「厳しい教頭」と「優しい校長」の一人二役を演じなければならなくなった。Mさんに変わって「厳しい教頭」役をできる者が我が社にはいないようだ。「やんちゃな学生」は相変わらずやんちゃ。私は少々、いやかなり疲れている。◆Mさんのありがたみをつくづく感じている。Mさん、ありがとうございました。コロナ禍がひと段落しましたら必ず「お別れ会」開きますからね。
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◎2020年06月02日 ---- ボス ◎
- 黒川さん非難「もう十分じゃありませんか?」に対して
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5月23日に「もう十分じゃありませんか?」と題してこの欄で、辞職した東京検事長を少し擁護した。それに対し厳しいコメントをいただいた。(5月23日のコメントというところをクリックするといただいた文が読めます)◆私が有名人でこれがTwitterなどのSNSであったら「炎上」していたのだろうか。だから政治的な発言は控えたいのだが、つい感じたことを述べたくなる・・・◆あの時期に黒川氏が取った一連の行動はダメ。脇が甘い。辞職はやむなし。そこまでは多くの方々と私も同じ感覚。おそらく違うのは多くの方々が「検事が賭け麻雀をやったのだから懲戒処分にするべきで退職金など払うべきではない」と感じているのに対し、私は「賭け麻雀くらい許してやれよ。誰でもやっているじゃない。退職金まで召し上げることないでしょ」との思い。◆「少額でも賭博は賭博、犯罪だ!」という考えを持っている人が多いことは知っている。(今回の件では日本人の実に8割近くが「懲戒にすべき!」と考えているとの情報もあった。)パチンコや競馬競輪は「公営」なので身を持ち崩すほどやっても法律違反ではないが、仲間内で少額であっても賭けて行う麻雀やゴルフの握りは犯罪、との考えはもちろん間違いではない。だから私の考えは少数派なのだろう。◆「公務員だから悪いのだ。一般人なら許される」という考えの方もいるようだ。今回の件では「重要任務の高級公務員が自宅に特定の新聞記者を招き入れ親しくすることは良くないこと」ということは私も同感なのだが「公務員だから、仲間内の麻雀で少額でも賭けたらダメ」っていうのは少々厳し過ぎると感じている。◆大学時代仲良く卓を囲んだ連中が「公務員になったから僕はもう麻雀やめるね」などとなったらかわいそう。もう少し鷹揚に「ま、それくらいいいか」とお目こぼしするムードにならないものかなあ、と感じている。
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◎2020年06月01日 ---- ボス ◎
- 三島由紀夫 「豊饒の海(全4巻)」の『暁の寺』より
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ゴールデンウィークに40年ぶりに読み返した「豊饒の海」その第3巻『暁の寺』に以下の文章が出てくる。私は納得しながらそこを読んだ。紹介する。◆「人々は永いこと自由と肉欲の過剰を怖れて暮らしていた。はじめて酒を抜いた翌朝のさわやかさ。自分にはもう水だけしか要らないと感じることの誇らしさ。・・・(中略)・・・そういう新しい快楽が人々を犯しはじめていた。そういうものが人々をどこへ連れて行くかは、本多にはおよそのことがつかめていた。・・・(中略)・・・純粋なものはしばしば邪悪なものを誘発するのだ。」◆二十歳で読んだときは全く理解できなかったであろうこの文章が還暦をとうに超えた身となり理解できるようになっていた。「暁の寺」の頃の本多は今の私と同い年くらいか。三島はこの文章を40歳で書いた。すごい。
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