‘ボス’ の記事一覧
◎2022年05月13日 ---- ボス ◎
- 明るい10年、暗い10年
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私は昭和32年(1957年)生まれ。もうすぐ65歳になる。◆幼いころのニュース。「東京タワー完成(58年)」「長嶋茂雄、巨人に入団(58年)」「東海道新幹線開業(64年)」「東京オリンピック(64年)」「巨人V9スタート(65年)」「大鵬45連勝(69年)」「大阪万博(70年)」と明るい話題ばかり◆一方、最近のニュースは「東日本大震災(2011年)」「福島原発事故(11年)」「コロナパンデミック(20年)」「ウクライナ戦争(22年)」と暗いニュースばかりが目立つ。滝川クリステルさんが「オ・モ・テ・ナ・シ」と微笑み、オリンピック開催地が「トキョー」と決定した2013年の一瞬、明るくなったが結果的には残念ながら歴史に残る明るいイベントにはならなかった。唯一、大谷翔平選手の活躍だけがこの時期の明るい話題である。◆私は日本が元気元気で明るかった頃(私個人的には不遇な状況もあったが)幼少期を過ごし、全く元気がなくなったころリタイアする準備を始めている。◆せめて「コロナの収束が見え」「ウクライナが終戦」になると世の中は随分と希望も湧いてくるのだろうし早くそうなって欲しいと願う。このままじゃ、今の子供たちが可哀そう。... 続きを読む
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◎2022年05月12日 ---- ボス ◎
- 100万円しかもらっていない!
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◎2022年05月11日 ---- ボス ◎
- よく頑張った。
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30年前の出来事である。当時私は練馬区の石神井に住んでいた。最寄りの駅は西武池袋線の井荻。井荻駅から徒歩12分のマンションだった。平野ノラさんがお笑いネタにするあの弁当箱のような携帯電話を持たされそれを肩に担いで通勤していた。その携帯電話に連絡してくるのはただ一人、私の上司、Sさんだけだった。◆長男が1歳になったばかりの頃だ。その日、私は久しぶりに早く帰宅できそうだった。早いと言っても自宅前に着いたのは午後8時半ころ。この時間ならまだ息子は起きているだろう、と楽しみに帰路を急いでいた。あと30mで自宅マンション、というところで弁当箱が鳴った。「キノシタさん、いま、どこですか?」とSさんの声。ここで「もう自宅前です」と正直に答えればいいものを、私は「今、高田馬場駅の近所です」と答えてしまった。Sさんは嬉しそうに「そうですか、じゃあ銀座に来て一緒に飲みましょうよ。『ヴィラ・バローネ』に先に入ってますね」と高級クラブに誘われた。◆私は自宅前で回れ右、井荻駅に向かって歩き出した。1時間後『ヴィラ・バローネ』に着いた。ホステスに囲まれたSさんは「遅かったですね、お疲れ様です」と笑顔で迎えてくれた。ホステスたちは「キノちゃん、遅ーい!駆けつけ3杯よ」などと言いながらウィスキーの水割りを作ってくれた。私は上手に、心から楽しんでいるフリをした。◆かわいい息子と遊ぶことができなかった。残念。「なんで『いま高田馬場です』なんて答えたのだろう?なんで『もう自宅です』と答えなかったのだろう?」私はホステスさんに囲まれて笑顔でお酒を飲みながらSさんと仕事の話をし、そして自分の言動を後悔していた。◆30年前の、あの失敗を今でも鮮明に覚えている。そして思う。あのとき、あのように振る舞うことができたから、今こうしてなんとか経営者として頑張っていられるのだろう、と。30年前の自分を誉めたい。「素晴らしい気配りでした、キノシタくん」と。... 続きを読む
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◎2022年05月10日 ---- ボス ◎
- お疲れ様でした。田原総一郎様。
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「朝まで生テレビ!」を久しぶりに観た。35周年特別企画であった。私がサラリーマンを辞めたころ始まったこの番組は私の知的好奇心を激しくくすぐってくれた。それまでの建設会社への通勤時、朝は「サンケイスポーツ」帰りは「夕刊フジ」を読んでいた私は退職と同時にその2誌をやめ、「文芸春秋」「朝日ジャーナル」を読むようになっていた。さすがに「週刊プレイボーイ」「平凡パンチ」は買わなくなっていた。◆会社を辞めた。もうすぐ子供が産まれる。人生のターニングポイントを私は不安と楽観の入り混じる思いで過ごしていた。世の中がバブル景気で沸いていたころだったので少し楽観的でもいられたのだろう◆バブル崩壊のムードがただよい始めたころ私は二人目の子供(長男)を授かった。私の心からは楽観が減り不安が増えた。◆話が逸れてしまった。まあ私がそのような不安定な時代に毎回欠かさず観ていたのがこの「朝まで生テレビ」。若いころの舛添要一は賢くかっこよかった。進行役の田原総一朗は上手に場を盛り上げ、自分の考えを他人の口を借りて発言させようとしているように見えた。左寄りの知識人たちの薄っぺらい発言に辟易したことも多かった。すべて田原さんの掌の上で踊らされていたのかもしれない。面白かった◆10年経ち、15年経った。田原さんが偉そうに振る舞うようになった。「だからアナタはダメなんだ!」などと平気で出演している政治家をこき下ろすこともあった。まあそれも面白かった。◆私はこの「朝まで生テレビ」が無かったら我が国は未だに中選挙区制が続いていたのだろうと思っている。別の機会があれば書くが、私は我が国には小選挙区制よりも中選挙区制のほうが似合っていると思っている。もっと言うと選挙制度として「赤白どちらかをきっちり決める小選挙区制」よりも「結果的にピンク」になる中選挙区制の方が優れているとさえ思っている◆またまた話が逸れてしまった。先週観た「朝まで生テレビ」の35周年記念番組の中で、田原さんは日本外国特派員協会から『報道の自由・生涯功労賞』を受賞したことを報告した。実に嬉しそうだった。もうすぐ米寿(八十八歳)だという。それを見ながら私は皮肉を込めて「賞をもらえて良かったですね。もう思い残すことは無いでしょう。晩節を汚す前に引退された方がいいかもしれませんね」とテレビの田原さんに向かって話しかけた◆番組は、嬉しそうに受賞の報告をした後、再びウクライナの話になった。パネリストを指さし「誰が一番悪いんだ?」と問いかけ「バイデンがダメなんだ」と決めつけた。さらに、さらに「来週、僕は岸田に会うんだけれど、岸田に『バイデンにしっかりしろと伝えろ』って言ってやるよ」などと大声を出す。世界一の権力者バイデン米国大統領も我が国のリーダー岸田総理も、マスコミ界の重鎮となった田原さんにとっては尊敬すべき相手ではなくなったのだろう。「バイデン」「岸田」と呼び捨てだ。◆「30年前の田原さんはそんなんじゃなかったですよ。あなたは政治家でもジャーナリストでもなく、演出家なんじゃないですか?分相応のふるまいをしていたほうが魅力的でしたよ」と伝えたい。もちろん私の発言など歯牙にもかけてくれまいが。◆本日のYahooニュースが「『朝まで生テレビ!』打ち切りへ秒読み段階」と報じている。はいはい、それがいいですね。ご苦労様でした。面白かったですよ。ありがとうございました。... 続きを読む
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◎2022年05月10日 ---- ボス ◎
- 「優しさ」「無関心」が命取りに
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30名近い死者行方不明者を出すこととなった知床の観光船沈没事故は人災である。船長の罪も大きいがこの運航会社の社長の責任も大きいことは明らか。ネットでは「なぜ逮捕しないんだ?」などとの声も聞かれる◆船長と社長が悪いだけではない。近隣の同業者は「あの会社はダメだ」「安全管理ができていなくて危険だ」との意識を持っていた。「あの会社は危険だな」との意識を持っていた者が多くいたのになぜこの大事故を防げなかった?◆へんな「優しさ」なのか「無関心」なのか「想像力の欠如」なのか?これだけの大災害を引き起こしておきながらインタビューを受ける近隣同業者は「オレは注意したんだよ」などと言っている。当日船長に「今日は出ちゃダメだよ」と言った者もいた。◆みんな他人事。結果的に多くの観光客の命を奪うことになったのに。「オレがもっと強く注意していれば良かったなあ」とか「役所にチクるべきだった」などとの反省の言葉は近隣同業者から聞こえてこない。私はこの近隣同業者に対して「あなた方がもっと厳しくこの船長と社長に接していればこの悲惨な事故は起こらなかったんじゃないですか?」と聞きたい。彼らの妙な「優しさ」と「無関心」が船長と社長を許し、その結果多くの命が失われた。船長と社長を犯罪者にしてしまった。◆さらにその結果、このゴールデンウィークに遊覧船に乗る観光客は激減した。「あなたたちの無関心が、結局自分にもかえってきたのですね」と言いたい◆わがヘリコプター業界にも似たムードがある。明らかな違法運航や「白タク」まがいの運航がなされていてもそれを注意したり役所にチクったりする人はいない。役所も役所で、事故が起こるまではみずから動こうとはしない。◆「自分に厳しい」のは良いことだが「人様に厳しい」ことを善としないこの国の島国根性が遠因かもしれないが、お客様と観光事業の発展のためにも「人様にも厳しい」目を光らせ、そう接することが重要だと私はあちこちで叫んでいるが、残念ながらヘリコプター業界ではそんな私が変人にみられているようだ。... 続きを読む
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◎2022年05月09日 ---- ボス ◎
- 若いころの失敗
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「夜中に書いた手紙はすぐに投函しちゃダメ。翌朝まで待って一度読み返せ。そうすると恥ずかしいことをいろいろと書いていることに気づく。きっと『ああ、昨夜投函せずに良かった』と安堵することになる」と教えられていた。「その通り」と理解してもいた。◆ところが若いころの私はその忠告を敢えて聞かなかった。明日の朝、読み返したら恥ずかしくて投函できないだろう。それじゃオレの正直な思いは伝わらない。酔っぱらっている今のうちに投函すべきだ、などと思い、深夜、ポストまで歩いて投函したことが多い。翌朝は、投函したことは覚えているが何と書いたかは忘れている。◆随分と失敗した。Iさんに書いた手紙をNさんに送ってしまったこともあった。19歳の時にMさんに送った手紙は未だに後悔している。◆世の中から手紙がなくなりメールやlineに置き換わった。それらには「送信取消」というものがある。便利な世の中になったな、と思う。ただ「若気の至り」の失敗の少ない人生は面白くないかもしれないな。... 続きを読む
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◎2022年05月07日 ---- ボス ◎
- テレビ中継はつらい
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漁港からの中継。ラッシャー板前がマスクを着けてしゃべっている。聞き取りにくい。「獲れたてのカツオです!いただきまーす」と言った。言った後、マスクを外してカツオを一切れ口に入れる。すぐにマスクをしてそれから「うーん、すごく美味いです!」と。こっちは「そんな漁港で回りに人もいないのに、マスクを着けたり外したりせんといかんの?」と突っ込みたくなる。◆地震速報もそうだ。青空の下、女性記者が白いヘルメットをかぶって「この辺ではコンビニの棚から商品の多くが落ちるなど・・」と説明している。その記者の向こうに見える住人は誰もヘルメットなど着用していないのに。◆コロナ対策のマスクにしろ地震被害に備えるヘルメットにしろ、あまりにも不自然な「予防行動での中継」が目立つ。きっと彼らは中継が終わった瞬間にマスクを外しヘルメットを取るのだろう。◆おそらくこんなバカげた中継をするのは日本だけだろう。日本には妙な「正義の人ぶる」クレーマーが多いからなのだろうか? それにしても情けない。中継記者はラッシャー板前が可哀そうに思える。いや、それとも彼らもまた「これは大丈夫でしょ」と言うだけの勇気がないのか?... 続きを読む
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◎2022年04月28日 ---- ボス ◎
- ソ連
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その当時の指導者はアンドロポフかチェルネンコだったと記憶している。TBS テレビがスタジオに数十人のソ連人を集めてインタビュー番組を企画した。アナウンサーが意地悪い質問をする。「あなたの国では『アンドロポフのバカ』などと言えないのではないですか?」ソ連人が答える「アンドロポフは偉大な指導者です」TBSが聞く「あなたがアンドロポフをどのように思っているのかを訪ねているのではありません。もし、誰かが『アンドロポフはバカだ』と思っても、『アンドロポフはバカだ』とは言えないのではないですか?」ソ連人は怒ったように声を高める「アンドロポフをバカだと思う人などいないでしょう。思ってもいないことをなぜ言わなければならないのか!」TBSはさらに聞く「そうじゃないんです。もし『バカだ』と思った人がいたら『アンドロポフはバカだ』と言えるのですか、と聞いているのです。わが日本では「中曽根総理はバカだ!」と思っている人がそれを声に出して言うことができますよ」◆結局、TBSのアナウンサーはソ連人の口から「バカだと思ったらそういうことを口に出す人もいますよ」というような回答を得ることができなかった。「書記長はバカだ!」と「思っている人がいない」のか「思っていても誰も口にしない」のか「口にすると逮捕されるから言えない」のか「口にすると殺されてしまうのか」何も分からなかった◆あれから40年くらい経っただろう。ソ連は解体しロシアができた。今のロシアは40年前のソ連と同じ。「プーチンはバカだ」と思ってるのか思っていないのか、ロシア国内に残っている人は誰も口に出さない。相変わらずヘンな国だ。不幸な国民だ。... 続きを読む
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◎2022年04月27日 ---- ボス ◎
- 欲しいモノから逃げるのは?
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「デパートに行きたいな。私、デパート大好きなの。でもデパートに行くとまたいっぱい欲しいモノが見つかっちゃう。欲しいモノができても私はおカネがない。欲しいモノがあってもそれが手に入らないと辛くなるでしょ。悲しくなるでしょ。だからデパートに行かないの。我慢してるの」◆娘が社会人になったばかりのころ、そんなことを言っていたのを覚えている。「それなら一所懸命に働いてお給料が上がるように努力しないといけないね」などとは言えなかった。少々働いても、努力しても、大会社のOLの給与などは年間5%も上がることはない。彼女の努力だけでは無理だった。◆「なにが欲しいの?一緒にデパートに行こうか。父さんが買ってあげるよ」と言ったことが実は何度かある。「甘やかしてはいけない」と思いつつも娘の喜ぶ顔を見るのが私にとっても最高の喜びだったから。それでもやはり「甘やかしてはいけない」と私は思い、娘も「甘えてはいけない」と遠慮することが多かった◆娘のことから自分のことへと話は変わる。サラリーマンを辞めたころから「欲しいモノ」が増えた。「お金が欲しい」「安定が欲しい」「子供たちの健康が欲しい(子供たちが幼いころ大病した)」「仕事(受注)が欲しい」「家が欲しい」世の中には欲しいモノばかりだった。そしてそれら欲しいモノの多くは「一所懸命働いて努力すれば、やがて手に入るのではないか」と思っていた。そこが大企業OLの娘と、リスクを冒して起業した私の違うところ。◆私は一所懸命に働き、努力した。結果的にあのころ欲しかったモノの多くは手に入った。確かに一所懸命に働き努力もしたが、いま冷静に振り返ると「運」が良かった。部下に恵まれ、友人に恵まれ、家族に恵まれ、時代の流れに恵まれた。運が良かったから多くの「欲しいモノ」が手に入った。◆都会で暮らしていると、還暦を過ぎても新たに「欲しいモノ」が見つかってしまう。(恐らく田舎に暮らしていると新たに「欲しいモノ」は見つかりにくいのではないだろうか。私はそう思っている)還暦過ぎて見つかる「欲しいモノ」はまず手に入らない。諦めるしかない。それでも欲しい。「欲しいモノがあってもそれが手に入らないと辛いからデパートへ行かない」と言った娘の言葉を思い出す。◆娘は「デパートへ行かない」ことによって自分が辛くならないようにした。私はそろそろ「田舎へ引っ込む」ことによって「欲しいモノ」が見つからない生活にしようかなどと考え始めている。... 続きを読む
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◎2022年04月26日 ---- ボス ◎
- ファジーの魅力
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「相手に不愉快だと感じさせずに、結果的に自分の主張を飲ませることができる人」が「コミュニケーション能力の高い人」なのだ、と部下たちに指導している。相手の考えが明らかに間違っていても「それは間違いですよ」とすぐに言うのではなく、「なるほど、そういう考え方もありますね」と一旦受け止めておいて「でも、こういう考え方もあるんじゃないですか?」と切り返す。そして「どうでしょう?」とあくまで謙虚に反論するのがコミュニケーションのコツ。◆理系の学校を出た人たちは拙速に白黒をつけたがる傾向が強いように感じる。「答えは、真理は、ひとつしかない」との意識が高いからなのだろう。社会人になれば「黒いウサギ」「青い血液」「進めの赤信号」「お金をもらえない仕事」「理不尽なことを要求する上司」など、決して答えが一つではないことが多い。いや、ビジネス上のほとんどのジャッジには「それが正解」というものは無いだろう。後から振り返って「あの時のジャッジは正解だったな」ということなのだろう。◆相手を尊重し、そして柔らかく、ファジーに落としどころを探るのが上級の大人なのだろう。私も理系卒の経営者として反省することも多い。... 続きを読む
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