‘ボス’ の記事一覧
◎2022年06月06日 ---- ボス ◎
◎2022年06月03日 ---- ボス ◎
- 意外と孤独な65歳
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60歳定年制でも多くの方は65歳まで再雇用という名目で働き続けている。私もその65歳に近づいてきた。来週末、65歳になる。幸か不幸か私は65歳になっても引退することはない。もうしばらくは社長業を続けるしかないだろう。◆私はもうしばらく現職を続けるが、同級生たちは退職し始めている。「もう十分働きました。来月からは年金生活です」なんてlineが届く。「そうか、もうキミも引退か」っていう感じ。◆同級生に比べると私は未だ忙しい毎日を送っている。ありがたいことだ。だが、昨日、自分が意外と孤独であることに気づいた。◆ほぼ毎日、アフターファイブは会食の予定が入っているが、昨日はその予定がなかった。夕方、5時過ぎ「さあ、どうしよう」となった。最近は部下にも気を遣う。「一杯、飲みに行こうよ」と誘うのに気が引けるのだ。社長に誘われて「すみません、今日は帰りたいです」と答えるのは辛いだろう。そんなこと私が若いころは言えなかった。上司、先輩から誘われれば余程のことが無い限り「はい、よろこんで」と答えていた。帰りたくても「帰りたい」と言えなかった。あの辛い思いを部下にさせたくはない。◆つい数年前までは、こんなときに「ねえ、オレ急にヒマになったんだけど、六本木で一杯どう?」と誘える友人が複数いた。部下に声をかけにくい時は飲み仲間の友人たちと楽しい時間を過ごすことができた。気付くとそんな友人がいなくなってた。◆体調を崩し酒を飲めなくなった者。コロナが怖くて外で食事をしなくなった者。そして定年退職してほとんど小遣いが無くなった者など。小遣いが無くなった友人には私がごちそうしてもいいのだが、おそらくそれは彼のプライドが許さない。◆気が付くと「ねえ、オレ急にヒマになったんだけど、今夜、六本木で一杯どう?」と誘える友人が一人もいなくなっていた。意外と孤独な65歳です。... 続きを読む
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◎2022年06月02日 ---- ボス ◎
- イーロン・マスクさんより早い決断
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テスラの創業者で世界最高の資産家でもあるイーロン・マスク氏がテスラ社の社員に向けて「リモート勤務は今後容認しない」と伝えたそうだ。「オフィスが主たる働き場所であるべき」と主張しているという。◆マスクさん、やっと今頃ですか?うちの会社は「緊急事態宣言」が明けたら同時に「基本的にリモート勤務禁止」にしましたよ。リモート勤務には確かにメリットもあるのでしょうがデメリットの方が多いと私は判断したのですよ。◆電車の中で若い人たちが「明日はリモート勤務だ!ラッキー」とか「ちぇっ、リモートは今日まで、明日は出社しなけりゃならないな」などと話しているのを聞いて不愉快になっていた。リモート勤務は病気まん延予防のために「やむなく」する措置であり、決して社員の『権利』にしてはならない。少なくとも、(十分なデータもそろっていない)今の時点では「権利」にしてはならない、と私は思っている。
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◎2022年06月01日 ---- ボス ◎
- 相撲に勝って勝負に負ける
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◎2022年05月31日 ---- ボス ◎
- なりたかった職業
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作家になりたいな、と思っていたことがあった。三島由紀夫を読んで諦めた。こんな文章、僕には書けない。まったくかなわない。◆作曲家になりたいな、と思ったこともあった。「青春の光と影」(ジュディ・コリンズ)を初めて聴いたとき諦めた。こんな旋律は絶対僕には思い浮かばない。◆プロ野球選手になりたいなどと思ったことは一度もない。長嶋茂雄は僕が子供のころからスターだった。ヒーローだった。あんなプレーが僕にできるわけがない◆画家やデザイナーに憧れたこともあった。大学生時代、パウル・クレエと出逢って諦めた。僕にはこんな独創的な発想はない。こんなバランス感覚は持ってない。◆それ以前に、プロレスラーになたら結構強いかな、と思っていたころもあった。中学で同級生の岡部勝博クンと出逢って諦めた。この人にはかなわない。◆結局、流されるままに生きてきた。それでも、悪くない人生だった。... 続きを読む
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◎2022年05月28日 ---- ボス ◎
- 飛行船
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誰もいない土曜日、一人出社して雑作業をしていた。一息ついて窓から東京タワーを眺めると飛行船が飛んでいた。東京上空に浮かぶ飛行船を見るのは久しぶり。◆高所恐怖症の私だが飛行船には一度乗ってみたい気もする。怖いかな。同じ高さを飛ぶのなら移動速度が速いほうが怖くない。飛行機よりヘリの方が怖い。へりがゆっくりと飛ぶと怖い。空中停止(ホバリング)などされると私はおしっこをもらしそうになる。とにかく怖い。飛行船もゆっくりと移動するから怖そうだ。それでもあの優雅な船には乗ってみたいな。◆森ビルの森稔前社長はお孫さんなどとよく飛行船に乗っていた。稔社長は東京上空をヘリや飛行船で移動する時代が来ることを確信し、それを少しでも早く実現しようと努力されていた。当時の石原東京都知事も同じ志を持ち熱心に東京の空の開放に向けて尽力くださった。今の東京は、森稔さんと石原慎太郎さんを失い元気がなくなった。◆10年以上前、六本木ヒルズの屋上で当時の森稔社長が私に聞いてきた。「このビルの屋上に飛行船を停めることはできないのか?」私が「無理ですね」と答えたら森社長はむっとした顔をして「なぜできないんだ?柱を一本建てて、それに繋げばいいじゃないか」と言い出した。私は技術的な問題ではなく法律の問題なのだと説明をしたが森稔社長は最後まで納得してくれなかった。私はそんな熱い思いを持った森稔社長を尊敬していた。◆石原都知事と森稔社長。お付きの部下は大変だっただろうが、信念を持った強いリーダーと共に働けた時代は良かった。飛行船を見て二人を思い出した。
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◎2022年05月27日 ---- ボス ◎
- 始めは「円」だった「栓抜きビル」
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「上海環球金融中心」というビルを知っているでしょう。「上海ワールド・フィナンシャル・センター」とも呼ばれ、オープン当初は「上海ヒルズ」とも呼ばれていた。完成時には世界一の高さのビルになる予定だったが、実は途中、工事が一時的に中断したために残念ながら世界一ののっぽビルになることはなかった。(それでも未だに世界5位くらいでしょう。)◆日本の景気がまだ良かったころ、森ビルが中心に開発を進めた。このビル、通称「栓抜きビル」とも呼ばれている。ビルの上部に大きな四角の空洞があるため、ビル全体が巨大な栓抜きに見えるからである。この「栓抜きビル」の四角の空洞は元々は四角ではなく円形での設計だった。◆15年くらい前だった。六本木の森ビル本社には「上海ヒルズ」の完成模型が展示してあった。その模型では空洞は円形だった。すごくかっこよかったのを覚えている。「すごいですね。日本はもう中国にかなわないですね」などと森ビルの担当者と話していた。◆それからしばらくして再度、森ビルを訪問した時に「円形の空洞」が「四角い空洞」に変わっていた。私は「えっ?なんで四角にしたの?丸い方がかっこよかったじゃない!」と質問した。すると担当者が「あまり大きな声では言えないのですが・・・。実は私は中国の公安に逮捕されました。一週間も拘留されました」と言う。なんでも「世界一ののっぽビルをこの上海に建てて、そのビルの最上部に『日帝』をイメージする日の丸の円を掲げるとはとんでもない!わが上海を日帝のマークが見下ろすのか!ふざけるな!」とののしられたそうである。かくして設計変更を余儀なくされ、あのビルは丸い空洞ではなく四角い空洞になり「栓抜きビル」と呼ばれるようになった。◆このことはなぜか広く知られることなく、いまだに多く語られることがない。中国に忖度しているようだ。... 続きを読む
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◎2022年05月24日 ---- ボス ◎
- カラーコーディネート
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自宅に居るときはテレビドラマかYouTubeばかりを観ていた娘だが、気付くと最近彼女が勉強をしている姿を目にすることが多くなった。コロナ禍で自宅に居る時間が増えたせいなのかもしれない。「秘書検定」を受けたり「企業会計」の勉強をしていたりするのを目にするのは(経営者である私は)親として嬉しい。最近では「株式」の勉強もしているようだ。そんな娘が先日「カラーコーディネート」の勉強をしていた。かなり熱心に毎日、時間をかけ勉強している。邪魔をしてはいけないと思いつつもつい「カラーコーディネートってどんな勉強なの?」と聞いてみた◆「あのね、誰にでも似合う色と似合わない色があるの。その人がどんなに好きなキレイな色でも、その色の服を着たら肌がくすんで見えてしまうっていうことがあるのよ。逆にその人に合う色だったらきりっと引き締まって見えたり若く見えたりもするのよ」と言う。「なるほど!うん、確かにあるね。父さんは芥子(からし)色が好きだけど、芥子色のポロシャツを買って大失敗したことあるよ」と私が言うと「そうね、父さんは夏色系だね。ブルー系がしっくりくるでしょ」とか言う。◆確かに似合う色、似合わない色が人によって違う。カラーコーディネートなる資格もあるようだ。勉強する娘からまた新しいことを教えてもらった。... 続きを読む
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◎2022年05月23日 ---- ボス ◎
- 「お釣り」って何?
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◎2022年05月19日 ---- ボス ◎
- VAN
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新橋~有楽町の間の山手線の下、いわゆるガード下がとてもオシャレな街に生まれ変わった。新橋側は「ウラコリ」、有楽町側(日比谷側)は「オクロジ」という。その「オクロジ」に若者男性向けのカジュアルブランド「VAN」がある。◆{VAN」と言えば日本に初めてアメリカントラディショナルスタイルを紹介した店。我々年代の多くが若いころ憧れたブランド。私が高校生のころ大分県佐伯市にも「VAN」がオープンした◆今でこそ「人は外見も大切ですよ」「もっと身だしなみに注意して」などと部下に注意し、オシャレに気を遣う人には「オシャレ手当」を支給しているが、高校生の頃の私はオシャレとは縁遠いものであった。学生服以外で街をうろつくのはジーパンとティーシャツ、それに下駄を履いていることが多かった。着るものが無かった。◆そんな私を見かねてかある日、母が「あんた、なんか、もっとちゃんとした服ないの。好きなのを買ってきよ」といいながら小遣いをくれた。「服を買うための小遣いやからね。喫茶店行ったりラーメン食べたり映画行ったりに使ったらダメで」と念を押された◆嬉しかった。もらった小遣いをジーパンの尻のポッケに入れ私はまっすぐ「VAN」に向かった。田舎の佐伯市だが「VAN」にはハイカラな店員さんがいた。私は初めて入った「VAN」に興奮し、店内を眺めていた。床、棚、天井、マネキンなどを眺めているとそのハイカラな店員が近づいてきた。そして私に訪ねてきた。「今日はどんなものをお探しですか?」と。「ボタンダウンのシャツ」とか「白いポロシャツ」とかを答えるべき質問に対し、私は「えっ?」と一瞬とまどい、そして小さい声で「ふく」と答えていた。17歳、キノシタ少年の懐かしく恥ずかしい「VAN」デビューの一コマでした。... 続きを読む
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