‘ボス’ の記事一覧
◎2024年01月09日 ---- ボス ◎
- 入江と岬。津波の大きさ。
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水理学に詳しくなくても、V地型に湾入した海岸奥で津波が一層大きくなることは想像できるだろう。テレビで津波のことを解説する学者の多くはこのV地型に湾入した地域が危険だと図を示しながら説明する。岬の先端が津波が大きくなるとの解説をテレビで聴いたことがなかった◆私はデキの悪い大学生であった。土木工学を専攻していたが特に「水理学」が苦手であった。そのデキの悪い水理学が苦手な学生であっても「岬の先端は津波の心配が大きい」ということは知っていた。当時、水理学の権威であった九大の椿先生が教えてくれた。◆「海の波はですね、海岸に対して垂直に入って来ようとするのです。皆さん経験で知っているでしょ?岸にいると波は沖の方からやってくるでしょ?北に突き出した岬の先端は北から、岬の東側は東から、西側は西から波が押し寄せてくるのです。だから岬の先端は大きな津波が押し寄せることになるのです。」と教えてくれた◆石川県の珠洲市。まさに能登半島の先端である。石川県珠洲市を地震による津波が襲った。そこで暮らしていた人たちは「津波が心配だ」と理解していたのだろうか?... 続きを読む
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◎2024年01月09日 ---- ボス ◎
- 下りては残念! 出世の石段。
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毎年元日に「成田山新勝寺」に初詣に行く。もう30年近く続いている。そして三日か四日に「愛宕神社」へお参り。こちらも15年は続いている。さらに1月下旬に「伊勢神宮」へ参拝。お伊勢参りは20年目。私はいつも「苦しい」ので「神頼み」は欠かせないのだ。◆愛宕神社の正面参道は86段の石の階段。結構な急こう配だ。「出世の石段」と呼ばれている。私は毎年30回くらいはこの出世の石段を上って「神頼み」をする。愛宕様は私のお願いをよく聞いて(効いて)くれる。誰に教わったか、正面の86段の出世の石段を「男坂」、境内の池のほとりに繋がる少し緩い石段を「女坂」と呼んでいる。「男坂」「女坂」以外にも、下から愛宕神社境内に繋がるルートは7つほどある。エレベータで上ることもできる。◆私は基本、「男坂」を上り「女坂」を下るのだが残念なのは「男坂」を下りている人がいること。「これは『出世の石段』ですよ。『出世の石段』を下っちゃあ・・・」と教えてあげたくなるけど、口にしたことはない。... 続きを読む
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◎2024年01月05日 ---- ボス ◎
- 不穏な年明け
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「なんとなく 今年は良いことあるごとし 元日の朝 晴れて風なし」◆ここ数年、毎年元旦にこの石川啄木の歌を口にしていた。爽やかに元日を迎えていた。今年は違った。心の中に何か、ざわざわと感じるものがあった。それでも元旦に成田山新勝寺を参り「今年も良い年になりますように」とお願いをすると少し落ち着いた◆ところがそれもつかの間、能登半島を大地震が襲った。連日、被害状況が伝えられる。そのたびに犠牲者の数が増える。心が痛む。◆避難所生活も大変だ。「地震で窓が割れていて寒い」「トイレの水が出なくて大変」「救援物資が届かない」など多くの問題が報じられている。途中の道路が寸断されているのだからなかなか救援物資も届かないのだ。昨日は自衛隊の大型ホバークラフト(LCAC)が支援物資を届けようとして失敗した◆私は思う。「水道の出ない避難所にいる彼らの元に支援物資を届ける」ことよりも「恵まれた避難所へ彼らをヘリで移動させる」ことの方がはるかに有効だと考える。なぜそうしないのか不思議だ。... 続きを読む
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◎2024年01月04日 ---- ボス ◎
- ビル倒壊の不思議
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元日に発生した能登半島地震。被災の状況が映像で伝わってくると悲しみと驚きが一層増してくる。なぜかテレビやラジオのニュースでは深くを取り上げないが私が一番興味を持ったのは輪島の7階建てのビルの崩壊に関して。「興味を持った」とはいささか不謹慎な表現だが許していただきたい◆報道では、この倒壊した7階建てのビルは隣に建っていた店舗兼住居の木造家屋を押し潰したようだ。複数の人が生き埋めになっており、その救出活動を地元の消防団の方が懸命に続けていた。◆では7階建てのビルには誰も居なかったのか?少しずつ傾き始めたのでビル内にいた人はすべて逃げることができたのだろうか?それなら隣の家屋の住人だって逃げられそうだ。逃げる余裕がなかったのならまだビルの中にも複数の住民がいるんじゃないか?そんなことを不思議に思っている。◆もっと不思議なのがあのビルの倒れ方。チラッと映ったテレビの映像からは一階の床部が見えていた。マッチ箱がそのまま倒れたような映像だった。「えっ?こんな倒れ方するの?」が私の第一印象。「基礎杭はどこにあるの?基礎杭と柱や壁は繋がってないの?」◆昭和57年以降に施工されたビルは、震度7クラスにも耐える設計強度を持っている。あのビルは昭和56年以前に建てられたものなのであろう。それでも、それにしても、あの倒れ方はないんじゃないの?と思うのだが、まだテレビでそれを疑問視する発言をしている人はいないようだ。... 続きを読む
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◎2024年01月04日 ---- ボス ◎
- 地震の悪魔神の祟りなのか?
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2011年3月、東日本大震災による津波が仙台空港に押し寄せ、格納庫内の機体やエプロンに居た機体はすべて水没し流されてしまった。おそらく飛行機とヘリコプター100機近くが被災し、飛べないただの粗大ごみになってしまった。。そんな中、1機だけ生き残った機体があった。仙台ジャムコ(株)の格納庫のなかにあった。ボンバルディアDHC8-300という機種で海上保安庁の機体であった。脚部は水に浸かったが流されることもなく損傷も小さかった。仙台ジャムコ(株)では必死にこの機体を修理し、海上保安庁に引き渡すことができた。当時は「唯一、津波に負けなかった機体」として復興のシンボル機のようにあがめられたそうだ。◆13年後の元日、能登地方を大震災が襲った。救援物資を現地へ届けようと羽田空港で離陸準備中のその機体がJAL機と接触し大破。海上保安庁職員5名が亡くなった。「東日本大震災」を生き延びた機体が「能登半島大震災」に救援物資を運ぼうとしての大事故だった。◆「地震の悪魔神の祟り」のようなものを感じる。航空事故は連鎖することが多い。気を引き締めていきましょう。... 続きを読む
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◎2024年01月02日 ---- ボス ◎
- 新年早々大地震
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あけましておめでとうございます。◆恒例になっている成田山新勝寺への初詣のあと私は会社に来て、年末に片付け切らなかった仕事をしていたところだった。「能登で大地震」との連絡が入った。金沢と富山にはお世話になっている方々が多くいる。心配だ◆私が今の会社エアロファシリティー株式会社を作ろうと思い立ったのは「阪神淡路大震災」がきっかけだった。地震のときに被災者のために活躍できるのがヘリコプターなのに阪神淡路大震災ではほとんどヘリは救助活動に参画できなかった。私は歯痒かった。◆その辺のいきさつを今マンガにしている。『塞翁が空』と検索していただければ読めるでしょう。あるいは私に「マンガ送って」と連絡くださればお送りしますよ。『塞翁が空』我ながら上手い題をつけたものだと感心している。◆大地震の被害が少しでも小さいことを願っている。なるべく早く復旧されることを願っている。... 続きを読む
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◎2023年12月30日 ---- ボス ◎
- 怒ってはダメ
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短気ではあるが怒りっぽい方ではない。いや怒るには怒るのだが怒っていることを悟られないように努めている。随分前の話だが、高校の同窓会で「キノシタくん、社長さんになっているけど部下とかを叱ったりできるの?」と聞かれたことがある。聞いてきたのは高校時代同級生の女性。「キノシタくんが怒っているところを私見たことないよ」と彼女は言った。◆嬉しかった。この話を部下にすると「その女性はキノシタさんのこと全然知らないのですね」と返ってきた。その部下は随分と私に怒鳴られたことがあると言う。覚えていない◆普段は、怒っていることを悟られないように努めている。その怒りが蓄積する。限界を越すと爆発する。どれだけ怒っているかを相手に伝える。「オレはこんなに怒っているんだぞ」と相手に伝える。怒った顔、怒った声で伝える。この爆発が1年に1回くらいある。◆5年前は銀座松屋のゴルフショップの店員に怒った。半年間の怒りの蓄積が爆発したのだった。3年前はタクシー会社の顧客担当に怒った。このタクシー会社には10年前にタクシーチケットをごまかして二重請求されたことがあった。◆私の「怒りの蓄積」を相手に伝えると一瞬スッキリとする。これまで貯めておいたモノを吐き出すのだからスッキリはする。だが言った翌日あたりから反省が始まる。「もっと冷静に対応できなかったの?」と自分に問う。「あの怒りの表現で良かったの?」と問うのであった◆年末も迫った28日、ある会社の営業担当者が私の元へ年末の挨拶に来てくれた。彼との付き合いは20年以上になる。愛想はいい。いつも笑顔である。私は彼にあるお願いをしていたのだが一向にきいてくれない。「頑張りますね」というばかり。「頑張る必要ないでしょ?あなたがちょっと気にかけてくれればいいだけですよ」と繰り返してきた。10年繰り返してきて我慢の限界を超えた。◆年末の挨拶に来てくれていた彼に対し、私は怒りを露わにした。強い言葉で怒りを伝えた。彼は困った顔をしていた◆怒った当日は良かった。「とうとう言ってやったぞ!」と言う気持ちが強かった。だが翌日には反省する。「彼に怒りを伝えても状況は改善しないだろう。『イヤな男、キノシタ』『失礼な男、キノシタ』『生意気な男、キノシタ』と思われるだけだろう」と思った。いや、それ以上に私の態度は礼を欠いていた。年末の挨拶に来られたタイミングで怒りをぶつけることはないだろう。反省。◆もっと上手に、自分の怒りを相手に伝えられるようになろう。来年の目標ができた。反省。... 続きを読む
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◎2023年12月26日 ---- ボス ◎
- 幸せって・・・
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私が大変可愛がっている一家がある。今はロサンゼルスに住んでいるY君の家庭。渡米して1年を超えたところだ。40歳手前のY君夫婦と7歳の長女の3人家族。毎日のようにインスタグラムをアップしている。幸せそうな彼らの様子を写真や動画で眺めているとついニンマリとしてしまう。こちらも幸せな気分になる◆実は3年前、Y君は生まれたばかりの長男を失った。その子、N君は産まれてくる以前、母親の胎内にいるころから重度の心臓障害が見つかっていた。産まれると同時に、母親に抱かれることもなく小児心臓病の医師団の待つ手術室へと運ばれた。両親は保育器の中の、何本ものチューブに繋がった我が子に「頑張れ、頑張れ」と声をかけ続けることしかできなかった。乳児は生後1か月で3回もの大手術を受けた。だが残念ながらN君は苦しいだけのとても短い生涯を終えた。両親は医師団に感謝の気持ちを伝え、涙を流しながら、我が子と一緒に自宅に帰った。両親の落ち込みは激しく、私は彼らにかける言葉を探したが結局なにも言えなかった。◆N君の悲しい死から1年後、Y君は所属する会社の社長から米国支店長のポストを打診された。Y君は喜んで引き受けた。今は幸せそうにロスで暮らしている。◆Y君の会社の社長は言う。「もしあの子(N君)が亡くなっていなかったらY君は息子の看病のため渡米できなかっただろう。私だってYに『アメリカへ行かないか?』などと訊けるはずもなかった」と。◆もしN君が生き続けたとしてもおそらく手術を繰り返す大変な人生だったろう。人の命の話だ。軽々と語ることはできない。だが今の、とても幸せそうなY君一家の笑顔をインスタで眺めていると「多分、これで良かったんだろうな」と思う。しかし、この思いは私からY君へは告げることはできない。◆外から眺める私の気持ちと、可愛い幼い我が子を失くした親の気持ちとは、大きな乖離があることだろう。運命って分からない。不思議だ。... 続きを読む
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◎2023年12月25日 ---- ボス ◎
- 俳句は難しい
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◎2023年12月22日 ---- ボス ◎
- 俳句・川柳 「父を亡くし サンタの来ない クリスマス」
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