‘ボス’ の記事一覧

2015年10月23日 ---- サイトからのお知らせ ,ボス

日和見英国、民主国家の恥

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これまで4回イギリスに行った。好きになれない。ずるがしこいヤツが多く、アジア人を見下している。マナーも悪い。歩行喫煙率も高い。文化の香りだけ漂わせようと試みてはいるが、(200年前までは知らないが)今のイギリスには文化や教養はない。子供の頃「紳士の国。マナーの国」と教えられたが行ってみて、彼らと接してみて、それらが真っ赤なウソであることを知った。とにかく私はイギリス人とイギリスという国が大嫌い。◆この国はかつて中国(清)にアヘンを持ち込み、ボロボロにしようとした。アヘン戦争だ。アジア人を下にみる英国人にとって恐らく本音で言えば、彼らが最も蔑み最も嫌っているのが中国人であろう。ところがその中国の経済力が大きくなった。プライドよりも目先のカネになびくイギリス人は簡単に中国に媚びるようになった。日本もアメリカもソッポを向いているアジアインフラ投資銀行(AIIB)にG7の中で真っ先に参加を表明した。みっともない国。魂を売る国だ。◆習近平中国国家主席がイギリスを訪問した。目先の利益が欲しい中国はアヘン戦争のことは忘れ日中戦争のことばかりを語る。「日本はとんでもない国だ。野蛮な国だ。イギリスは紳士の国だ。賢い国だ」と。同じく目先の利益が欲しいイギリスは上下両院に習氏を招き演説をぶたせた。バッキンガム宮殿に招き、晩さん会の後、宿泊までもさせた。◆みっともない国とみっともない国。「民主主義国家の代表」「英国紳士」「マナーの良い国」などとイギリスのことを良く知らない連中は言うが全くのデタラメ。イギリスはプライドを捨てたただの日和見国である。主義やモラルは関係ない。目先のカネが一番だ、とこの二つの国は大きな声で言っている。◆こんな国とは付き合いたくない。

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2015年10月22日 ---- ボス

「スポーツ選手のモラル」と「マスコミのモラル」

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読売巨人軍の選手が野球賭博に関与していたと大きな問題になっている。「少年たちに夢を与えるべきプロ野球の選手が・・・」などとテレビのコメンテーターは嘆くような悲しむような驚いたような顔を作って彼らを非難する。コメンテーターは、悪いことを非難するのも商売だ。◆プロ野球選手だろうが映画俳優だろうが警察官だろうが政治家だろうが、悪いヤツは必ずいる。コメンテーターはそれを知っているくせに驚いた表情を作る。驚いてもいないのに、悲しんでもいないのに、そんな表情を作る。それが彼らの仕事だから。◆プロ野球の選手などは幼い頃から野球ばかりやってきて、勉強も道徳も教えられず、同級生などにはチヤホヤされてきたものが多い。甲子園に出場した高校野球選手たちの多くが「人生のピーク」をそこに置き、その後挫折した或いは屈折した人生を歩んでいることを多くの高校教師たちは知っている。◆野球エリートをチヤホヤし、勉強も道徳も教えなかった親、教師、同級生、それからプロ野球の組織全体が非難されるべきだろう。◆今回の野球賭博事件。私の興味を引いたのはそれに関わった選手ではない。先ほどから言っているようにプロ野球の選手なんてその程度の者が多いことを私はよく知っているから。私の興味を引いたのは「知的エリート」と言われる者ばかりで作っている大手新聞各社の報道姿勢。やはり私の予想通り、朝日・毎日は一面トップで大きく取り上げて、鬼の首でも取ったような勢いだ。一方、読売新聞は一面では一切触れていない。一面トップの見出しは「訪日客1448万人 昨年超え」だって。こういうのを「能天気」と言う。◆野球賭博などは朝日・毎日が一面トップで扱うべき大事件ではない。三面の端っこで十分だ。逆に、自分のグループ会社の一員が起こした不祥事こそ読売新聞は一面で報じ、詫びるべきだろう。◆日本の大手新聞社の連中には報道に関する「道徳観」が大きく欠如している。こんなマスコミに我々の常識の概念が大きく揺さぶられていることを、我々は知らなければならない。

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2015年10月20日 ---- ボス

巨人 原辰徳 監督退任

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常勝を義務付けられた巨人軍の原辰徳監督が退任した。「12年間お疲れ様でした」とねぎらいたい。テレビの報道番組でその引退会見を見た。原さんの顔は「やりつくした」との満足感からか穏やかで爽やかだった。会見の最後の方でこんなことを言っていた。「本当に久しぶりにグッスリ眠れた。重荷を背負っていたんだな、と改めて気付きました」◆「分かる、分かる」・・・私はテレビの原さんに向かって話しかけていた。お疲れ様でした。しばらくはグッスリ眠ってください。
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2015年10月15日 ---- ボス

薫子さんの「ヘリ雲」

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少し恥ずかしいことを吐露する。私は実はミーハーである。(早くも話は逸れるが「ミーハー」とは死語になりつつある言葉。「みいちゃん、はあちゃん」から来た、芸能人にうつつを抜かすオツムの弱い女性を指す蔑称・・・男にも使われるようになった)◆今から6年~7年も前のことだったろう。自宅でボーっとテレビを眺めていた。なぜか「QVC」テレビショッピングを見ていた。そこにキレイな女性が映っていた。普通のキレイではない。ど真ん中のキレイ。「ミーハー」な私はその日以来、用もないのに「QVC」テレビショッピングを見るようになる。家人や娘はあきれたように「またQVC見てるの?」と溜め息と共に私を見下したように言っていた。キレイなオネーサンがキレイなお洋服を着てテレビショッピングに出ていて、それを父親は一所懸命に見ているが、決してそのお洋服を買ってもらえるわけではないのだ。家人や娘の嘆きも理解できる。だが私は彼女らの軽蔑のまなざしに堪えながらQVCを見続けた。そして私の大好きなそのキレイなオネーサンの名前が「カオルコ」と言うことを知り、やがて彼女はモデルの「薫子」さんであることを突き止めた。幕張に住んでいた頃の話である。◆4年前、幕張から広尾に転居し、QVCをテレビで見ることができなくなった。テレビでは薫子さんに会えなくなったが、薫子さんが毎日ブログをアップしていることは知っていた。毎日、薫子さんのブログを読むことが日課となった。薫子さんは時々私のオフィスや私の自宅の近所で食事をしている。いつか会えるかもしれない。そう思いながら5年近く経った。◆「広い東京、いくら近所に出没(失礼!)していても、偶然会えることなどないよな」と諦めてはいる。諦めてはいるが「もし万一、その辺で薫子さんに偶然会ったらなんと話しかけようか、話しかけたりしたら失礼か」などといつも思っている。「彼氏はいるのだろうか?いや、既に結婚されているのかもしれないな。旦那さんはどんな人なんだろう。うらやましいな」・・・そんなことまで考えていた。◆先日、薫子さんのブログに素晴らしい写真が載った。それが私がイメージしデザインした当社の紙バッグにそっくりなのだ。「やはり神は居るのだ。私と薫子さんを出会わせようとしてるんだ」そう感じた。ブログを通して薫子さんにお願いした。「ヘリ雲の写真が欲しい」と。◆スーパー美女で天才「雲」写真家である薫子さんが撮った「ヘリ雲」の写真がこれ。
そして我が社の、和紙で作ったバッグの写真。・・・似ていると思いませんか? 私と薫子さんの感性はとてもとても近いのか・・・。気分いい。

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2015年10月07日 ---- ボス

健康第一

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ノドの調子がおかしい。なかなか治らない。徐々に違和感が増してきた。声までかすれてきた。咽頭ガンじゃないだろうか?◆ツンクさんは声を捨て命を取った。10年ほど前、私の親しい友人の平井君は声を失うことを嫌い、医師を避け民間療法を選択し命を落とした。◆「咽頭ガンです」と言われたらどうしよう。「声帯を切除したら命は助かります」と言われたらどうしよう。声を出せない生活を想像した。怖い。◆昨日、再度耳鼻科を訪問し、入念に調べてもらった。「先生、ガンではないですか?」と聞いた。医師は明るく応えてくれた。「ええ、その心配はありませんよ」◆とたんに明るくなった。命に別条なく、声帯も問題ないのであれば多少の痛みや違和感は我慢する。良かった。安心した。◆「健康第一」と改めて強く感じた。うれしくて昨夜ははしゃぎ、飲み過ぎた。こんなことをしていては健康を害してしまう。反省。・・・・でも良かった。

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2015年10月06日 ---- ボス

社会の縮図

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幼稚園から大学まですべて公立(市立・県立・国立)の学校を卒業した。小中学校の同級生の親の職業は様々。思い出すままに挙げてみよう。米作農家・酪農家・漁師・教師・銀行員・医師・ホステス・香具師・警察官・坊主など。果物店・魚屋・洋品店・製材所・薬局・銭湯・焼き鳥屋の子供もいた。珍しいところでは暴力団の組長の娘。小学校6年生で一緒のクラスになった美しい顔をした彼女の父親は、秋が終わるころ逮捕された。前科22犯と報道された。そのことで彼女をいじめる者は一人もいなかった。報復が怖いから虐めなかったのではない。みんな優しかったのだ。彼女は何事もなかったように楽しそうに過ごしていたのを覚えている。腕白なガキ大将も居たし喧嘩もあった。だが陰湿な虐めはなかった。今なお小中学校の同級生たちとは仲良くしている。私にとって小学校時代から「社会の縮図」のような環境の中で育ったことは大きな財産だと思っている。◆一方、私の息子と娘は中学から東京の名門(?)私立校に通った。小学校は公立(市立)ではあったが高級住宅地の中にある恵まれた学校であった。彼ら(息子・娘)の同級生の親の職業は会社員か公務員か医師ばかりだった。彼らの同級生には農家の子、漁師の子、ホステスの子、果物店の子、魚屋の子、洋品店の子、製材所の子、銭湯の子、焼き鳥屋の子はいない。もちろん香具師の子も暴力団組長の子もいない。私の息子・娘の通った学校は決して社会の縮図ではない。彼らは温室の中で育ったようなもの。そしてその温室の中では陰湿な虐めがあったと聞いている。さて温室で育った子供たちが果たしてこれから社会の中で逞しく成長していくことができるのだろうか。不安に、不思議に感じる。◆国会議員も官僚もマスコミ各社の社員の多くもみな温室育ちになってしまった現在、息子・娘のことと同様に、この国の行く末までも配になってきた。

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2015年10月05日 ---- ボス

死の恐怖

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気が小さい。臆病。心配性。「それが会社経営には大切なのですよ」と褒めてもらえることもあった。経営者になって20年以上、いつも怯えていた。「もし・・・なったらどうしよう?」と心配して眠れない夜がどれだけあったことか。毎日、毎晩心配している。◆さて今度は仕事の話だけではない。私の体調の話。私は気が小さいから健康にもこだわっている。ニュー新橋ビル1階のジューススタンドで毎日700円も出して「野菜ジュース」を飲んでいる。10種類以上の野菜を絞ってジュースにしてくれる。これが不味い!「良薬口に苦し」まさにクスリと思いながら毎日飲んできた。◆万歩計をポッケに入れ、毎日最低1万歩は歩くようにしている。地下鉄を利用するときはエスカレータを使わず階段を歩く。週に1回はゴルフをする。◆入念な人間ドックも受診する。毎年一回、PETと胃カメラによる検査も欠かさない。「心配要りませんよ」と言われるとホッとする。「あと一年は大丈夫ですよ」と言われた感じ。今年は7月にPET検査を、9月2日に胃カメラ検査を受診し「心配要りませんよ」と言われ、ホッとしていた。だが・・・・。◆胃カメラ検査の2週間後、15日頃からノドの調子がおかしい。最初は魚の小骨が刺さったような感じだった。近所の内科で診てもらって「どこも悪くないですよ」と言われ安心していた。そのことはこの欄でも紹介した。しかし、一旦治りかけたように思えたノドの違和感がその後日に日に増してきた。痛みが激しくなった。先週、耳鼻科を受診した。鼻から内視鏡を入れてノドを診てもらった。医者は「ノドの色が変化していますね。恐らく悪性のものではないでしょう。」と言ってクスリを処方してくれた。それから1週間が経った。痛みは一向に引かない。それどころか声がかすれてきた。気が小さい私は「ああ、これは咽頭ガンか?」と不安で眠れない。◆この10年間で二人、私の親しい人が咽頭ガンでなくなった。どちらとも声がかすれてきていた。ツンクさんは声を捨て命を取った。さて私は・・・?◆今日は出社後すぐに神棚に手を合わせた。「どうか私が健康でありますように!咽頭ガンではありませんように!神様お守りください}と真面目な顔でお願いした。◆明日は再度、耳鼻科を受診する。怖い!「恐らく悪性のものではないでしょう。」・・・「恐らく」なんて言わないでくれたら嬉しいのに・・・。

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2015年10月05日 ---- ボス

かわいい自分には旅をさせよ

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国内47都道府県、行ったことがないところはない。しかもそのすべてで二泊以上した。国外でも20を超える国を巡った。平均的な58歳と比べればかなり多い方だろう。だがそれらの多くは仕事を絡めてのもの。純粋に「旅行」と言えるものは数えるほどしかない。出張のついでに半日間程度の観光を楽しむ余裕は作ってきた。国内出張では美術館巡りを楽しんだし海外出張では必ずジャズバーを覗いてみた。名所旧跡も回った。海外でのゴルフもおそらく30ラウンドはしただろう。楽しい想い出も多い。だが今年からは出張を減らしている。私が出張に行っていては後進が育たない。若い連中に積極的に客先を回ってもらいたい、そんな気持ちから出張を控えるようになった。そのため今年になって私のプライベートでのゴルフのラウンド数は増えたが飛行機や新幹線に乗る機会は減った。◆出張以外では殆ど旅行をしていない。忙しい、カネがない、疲れが溜まっている、予定が立てられない、などと自分に言い訳してきた。いや、それよりも「仕事で出張しているから・・・」という言い訳が多かった。◆郷土の友人、菅淳(すがあつし)君から一冊の本を勧められた。『かわいい自分には旅をさせよ』(浅田次郎)  読んでいて、旅に出たくなった。出張ではない純粋な旅行を楽しみたくなった。◆浅田氏は言う。「金だの時間だの手間だのと、旅に出かけぬ理由を思いつくのは簡単だが、よく考えてみれば金は貯めるものではなく使うものであり、時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむは怠惰の異名にすぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実はなにもないのである。」・・・・・まさにそのとおり。

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2015年10月02日 ---- ボス

爽やかな朝

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爆弾低気圧とやらの影響で東京では早朝まで暴風雨が荒れ狂っていた。午前8時を回り、少し落ち着いてきた。私の部屋の窓からは優雅な東京タワーに雲の切れ目から光が射しているのが見える。とてもキレイ。◆火曜日から始まった税務調査は昨日夕方やっと終わった。幾つかの指摘はいただいたものの大きな間違いや注意を受けることはなかった。「概ね、良くまとまってますね」とのお褒めの言葉をいただいた。◆調査初日の火曜日の朝、私は調査官のNさんと名刺を交換したあと会社の概要や近況を説明した。Nさんは穏やかな表情で、私にいろいろなことを質問された。ヘリポートのこと、ヘリコプターのこと、私の生い立ち、独立の経緯など。国税調査官というと「眼光鋭い」という印象があったのだがNさんは全くそういうタイプではなかった。柔和な印象。高圧的ではなく丁寧にこちらの話を聞いてくれる。私はつい饒舌になった。お昼が近づき「それでは午後から詳細な書類関係を見せていただきます。社長さんの同席はここまでで結構です。どうもありがとうございました」とNさんから言われ、私は会議室を出た。◆調査への立ち合いをお願いしている公認会計士のF先生と昼食に出た。F先生いわく「キノシタさん、私はこれまで税務調査に数百回は立ち合っていますが、今回のN調査官は抜群です。少なくとも私が接した調査官の中では間違いなく一番のキレ者です」◆私は驚いた。F先生に言われるまで私はには「N調査官がキレ者」などという感覚はなかったのだ。「そこが彼のすごいところです。丁寧で、おだやかで・・・。それでいて、なにげない風な質問で要所要所を的確に確認してくる。あの人はすごいですよ。恐らく特捜あがりでしょう」◆F先生はN調査官の優秀さを説明してくれた。私とN調査官のやりとりを隣で黙って聴いていただけで「N調査官はキレ者だ!」と読み取るF先生もすごい。F先生は私とピザを食べながら楽しそうに言った。「キノシタさん、なにか悪いことをしていれば、あのN調査官に見つけられる。ごまかすことは難しい、とビクビクするところです。でも当社は木下さんの厳命でズルは一切していません。なにもビクビクすることはないのですよ」と◆入念な検査が3日間続いたあと、昨日夕方、総評が行われた。「概ね、良くまとまってますね」人の良さそうな笑顔でN調査官が言ってくれた。その後、10分間くらいだったろうか、雑談をする時間があった。Nさんの能力の高さは当社の女性スタッフも感じていた。同時に彼の魅力も感じていた。◆「こういう出会いでなかったら、オレとも仲の良い友人になれたのだろうな」そんなことを思っていた。F先生も同じことを考えていた。◆帰り際にNさんが私に言った。「社長、ブログに税務調査のことなんか書かないでくださいよ」・・・何とも言えないチャーミングな笑顔であった。◆東京タワーの向こうに青空が見えてきた。今朝は爽やか。

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2015年09月30日 ---- ボス

不義理

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昭和57年に九州大学を卒業した私は前田建設工業(株)の東京支店に勤務することになった。夜行列車で単身上京した。最初の勤務地は練馬区石神井公園の橋梁工事の現場であった。当初は江戸川区にある社員寮から通っていたが、現場が忙しくなるとほとんど毎日仕事場に泊まり込むことになった。当時の作業所にはいわゆる「飯場(はんば)」と呼ばれる宿泊施設があった。六畳間に五人が寝ることも珍しくなかった。◆入社1年目の正月休みの間、私はその作業所に当直勤務を命ぜられていた。大した戦力にならない1年生を現場が休みの間当直させ、正月休みが開けたら代休を取らせるという所長(私の恩人・川嶋氏)の配慮があったのだと思う。その当直期間中に私は扁桃腺炎で高熱を出し寝込んでいた。◆39度3分の高熱に苦しみ、食べるモノもなく一人煎餅布団に寝ていた。元日だったか二日だったか、3年先輩の秋場毅(あきばたけし)さんが車で様子を見に来てくれた。手におせち料理を持っていた。吉祥寺の自宅から通っていた秋場さんは私が正月に一人で当直しているのを可愛そうに思い、母親の作ったおせちをわざわざ持ってきてくれたのだった。もちろん私が寝込んでいることなど知らなかった。布団の中の私を見て「キノシタ!どうした?大丈夫か?」と心配してくれた。私はなんとか布団から這い出て、久しぶりの食事をいただいた。おかげで翌日は熱が38度3分まで下がったことを覚えている。39度3分の熱が38度3分に下がると随分と元気になった気がした。翌日も翌々日も、秋場さんは母親の手料理を持って私を見舞いに来てくれた。若い私は三日後には元気になった。◆私が前田建設工業を辞めてからも秋場さんとの交流は続いた。飲み会があるといえば電話をくれ「オマエも来いよ。みんな会いたがってるよ」と誘ってくれた。私は秋場さんを通じて、お世話になった前田建設工業との繋がりをずっとずっと維持できた。その秋場さんが病に倒れ前田建設工業を辞めたのは10年くらい前だったろうか。週4回の透析を続ける秋場さんは会うたびに痩せ、老けていった。こちらが誘っても「お酒も飲めないし、食事も一緒にできないから」などと言ってやんわりと断られた。歩くこともきついようだった。◆昨日、ある方から秋場さんの死を知らされた。「今年の2月に亡くなられたそうだ」と彼は言った。生涯独身であった秋場さんは一人住まいのアパートでひっそりと亡くなっていた。昨日まで、アパートの大家以外は誰も秋場さんの死を知らなかった。秋場さんには親類縁者もいなかった。◆あのときお母さんの手作りのおせちを私に届けてくれた秋場さんに、前田建設工業との縁を繋ぎ続けてくれた秋場さんに、私はなんの恩返しもできなかった。◆偉そうに「義理・道徳」が最も大切だ、などと言いながら、私はまた大きな不義理を犯してしまったことに気づき、苦しんでいる。◆秋場毅先輩、ありがとうございました。ごめんなさい。安らかに眠ってください。ごめんなさい。

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2026年02月06日 ボスの
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