‘ボス’ の記事一覧
◎2015年05月19日 ---- ボス ◎
- デザインでは韓国に大きく負けている我が国
-

先週、2泊で韓国へ出張してきた。景気は良くない、と聞いているが私の目にはどこも活気にあふれているように映った。観光地や高級商品を扱う店は日本と同様、中国人観光客の下品な大声が飛び交っていた。◆韓国へ行っていつも感心するのは建築物のデザインの美しさ。縦と横の線しかない大小のマッチ箱を転がしているような、冴えない東京のビル群とは大違い。これまで私が訪れた都市の中で建築のデザインに関してはミラノとソウルの二都市が際立っている。皆さんもソウルに行かれるときには是非ビルの美しさも楽しんでいただきたい◆ソウルという都市が、あるいは韓国という国が「デザインが重要」と理解しているのだろう。残念ながら街を歩く女性の服装はさほどセンスが良いとは言えなかったが大韓航空、アシアナ航空のスチュワーデスの制服はJAL・ANAの制服よりは数段あか抜けていいる。そんな「デザインが重要」との意思表示を強く発信する素晴らしい建物がまた一つソウルにオープンしていた。◆度肝を抜かれた。痛く感動した。東大門デザインプラザという施設。2020年の東京オリンピックのための国立競技場のデザイン・設計を担当することになっている建築家、ザハ・ハディッド氏の作品。いろいろと説明したいが私が説明するよりはホームページを見ていただいた方が早い。http://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=6925 是非ご覧ください。それよりも一度ここを訪問していただきたい。◆「オカネがないからデザインなんてどうでもいい。要は効率や利用勝手の問題だ。いくら稼げるかが重要だ」と我が国の多くの施主が言う。情けない。美しいデザインは心を豊かにし士気を高める。こんな状態では東京はいつかソウルに追い越されてしまうだろう。
http://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=6925... 続きを読む
- コメント (1)
◎2015年05月18日 ---- ボス ◎
- 新しいこと
-

若い頃、私はとても怠惰であった。今は怠惰ではない、とは言わないが若い頃に比べると随分とまともになった。自分が怠惰であったからよく知っているのだが、怠惰な者は現状を好む。◆眠っていると起きたくない。一度起きたら今度は眠りたくない。福岡で学生生活を送っていた私は夏休みに大分へ帰省するのが嫌だった。だが帰省してしまうと今度は新学期のために福岡へ行くのが嫌になる。今が楽なのであった。◆学生時代、引っ越しをした方が便利になるのは分かっていても引っ越すのが面倒で遠距離から通学していた時期もある。◆「頑張るべき。頑張った先に楽がある」というのは分かっていてもなかなか頑張れない。その結果、留年もしてしまった。◆「頑張るべき。頑張った先に楽がある」と言っても、その「楽」がどのようなものかはっきりと見えないとなかなか怠惰な者は動かない。◆ ◆ ◆前置きが長くなった。本日このコラムで話題にしたいのは「大阪都構想」の否決に関して。橋下大阪市長は「大阪市を解体して大阪府の元に直轄の『区』を置くべき」と頑張った。実は私は詳しく知らない。だから「大阪都構想」に賛成とか反対とか言えるものではない。ただ小さな会社とはいえ創業経営者として「橋下さんのやろうとしていることはかなり難しいな」との感覚はあった。橋下さんが説得しなければならない相手はみんな怠惰な人たちなのである。大阪市民が他と比べて怠惰、と言っているのではない。そもそも人間はみな怠惰なのだろう。新しいことはしたくないのである。◆昨日、住民投票が行われその結果「大阪都構想」は否決され廃案になった。僅差であった。テレビで大阪都構想に「反対」票を投じた人たちの反対理由が告げられていた。「大阪市に愛着がある」「大阪都になってどんな良いことがあるのか分からない」など私の予想通り、反対票を投じた人たちの多くは明確な反対理由はなかった。◆既得権益を持った多くの者たちは「変化・改革」を嫌う。彼らにとっては怠惰な住民を味方につけることは難しいことではなかった。「今でいいじゃない」「頑張って変化しようとしてもそれほど変わるもんじゃないよ」「頑張っても疲れるだけだよ」と言われれば怠惰な者は「そうだよね」と思ってしまう。◆学生時代、朝10時頃までアパートで寝ていると成績優秀な友人たちが起こしにきてくれた。「キノシタ君、もう朝だよ。1限目の受講は終わったよ。2限目から授業に出ようよ」・・・それでも怠惰な私はなかなか起き出さなかった。授業に出たらどんな良いことがあるのか分からなかった。当時の私は変化を求めていなかった。馬鹿だった。◆一経営者として橋下大阪市長に敬意を表したい。ねぎらいの言葉をかけたい。... 続きを読む
- コメント (0)
◎2015年05月11日 ---- ボス ◎
- SL広場
-

本社を新橋に移してちょうど4年が経過した。新橋駅徒歩3分、とても便利。そのためか来客数も倍増した。我が社とJR新橋駅を結ぶルートはどれを選んでも居酒屋群の中を抜けることになる。そのため「朝は新橋駅から徒歩3分、帰りは新橋駅まで徒歩3時間」と冗談を飛ばす。私の大好きな銀座へも10分かからずに歩いて行ける。最高の立地。通勤が便利、客が来やすい、居酒屋が多い、銀座が近い、ランチを提供する店が多いなどなど新橋本社には当初予想しなかったさまざまな魅力があった。◆先週、金曜夕方、オフィスを出た私は「まっすぐ自宅へ帰ろうか、それとも銀座にちょっと顔を出そうか」と迷いながら新橋駅方面に向かった。駅前のSL広場でなにかやっている。覗いてみた。なんと将棋の大盤解説が行われていた。松江市で行われている名人戦をリアルタイムで大盤上の駒を動かし大内延介九段が解説していた。羽生善治名人に行方尚史(なめかたひさし)八段が挑戦しているもの。難しい盤面を大内九段が江戸弁で軽妙に分かり易く解説してくれる。とても面白い。結局、私は行方八段が投了するまで2時間近く解説を楽しんだ。もちろん無料である。素晴らしい。銀座へは行かず、新橋駅から電車に乗ってまっすぐに帰宅した。◆前期の決算を終了した。新橋に本社を移転する前年に比べ、我が社の売上高は6倍にも膨らんでいた。社員の数も2倍に増えた。新橋最高!
... 続きを読む
- コメント (0)
◎2015年05月08日 ---- ボス ◎
- 初夏
-
今年は5月2日が八十八夜、5日が立夏であった。暦の上では既に夏。今朝の東京は薄曇り。自宅を出るとむせるような「草いきれ」が顔を包んだ。初夏の陽気が漂っている。それだけで嬉しい◆自宅から会社まで電車を利用すると「広尾」~「六本木」~「神谷町」~「霞が関」~「日比谷」~「銀座」~「新橋」と6区間である。銀座で日比谷線から銀座線に乗り換える。今朝は気分が良かったので自宅から「六本木」まで歩いた。「六本木」で電車に乗ったが一区間だけ乗って「神谷町」で降りた。そして「神谷町」から「新橋」までまた歩いた。窮屈な革靴で少し足が痛くなったが気分はとてもいい。少し儲けた感じ。◆あなたも少し歩いてみませんか?おすすめです。
- コメント (0)
◎2015年05月07日 ---- ボス ◎
- 許せない! 「30年後のことなんか知らない」
-

2012年12月、中央自動車道の笹子トンネルでコンクリート製の天井版が崩落し、男女9人が死亡した。マスコミは「管理体制の不備」と決めつけた。責められるNEXCO中日本(旧道路公団)も素直に「管理体制の不備」を認め謝罪した。私は「管理体制以前の問題」をなぜマスコミは追及しないのか、「設計の不備」となぜNEXCOは言わないのかと残念に思った。◆大学でコンクリート工学を勉強した者なら少し考えれば「あの設計は危ない。将来、大事故が起こるかも知れない」と気付いたはずだ。私のようにまともに『コンクリート工学』の単位を取得していない者でも気付くのだから。◆コンクリートは「非常に重たく」「経年劣化が激しく」「メンテナンスが難しく」「劣化した場所を発見しにくく」「金属との相性が悪く」そして「繰り返しの衝撃荷重に弱い」ものなのだ。床材や壁材には向いているが、金属で上から吊る構造には適さない。設計の段階で「これの管理は難しいな」と気付いていないなら彼はバカだ。「メンテナンスをしっかりやってくれれば事故は起きないだろう」という考えだったのならその設計はあまりにも無責任だ。設計者の心の中には恐らく「30年後にはまずい状態になるかもしれない。でも30年間は持つだろう」との甘えた考えがあったに違いない。今更ながら腹が立つ◆病院の屋上ヘリポートを造る会社のトップとして「コンクリートは繰り返し衝撃荷重に弱いのでヘリポートはアルミデッキで」と訴えている。しかしながらなかなか受け入れられない。数年前、ある関西のゼネコンの所長が私に言った言葉が忘れられない。「私はこの現場が終わったら定年退職なの。30年後のことなんか知らんがな」◆このような設計者、施工者が多いから今年も「ビルの看板落下事故」などが相次いでいる。... 続きを読む
- コメント (0)
◎2015年04月28日 ---- ボス ◎
- 空と私
-

「キノシタさん、『キノシタさんの人生でこの一曲』と言われたらなにを選びますか?」と聞かれたことはないが答えは用意している。2000年以降は『この空を飛べたら』(加藤登紀子)と答えることにしている。(ちなみに1999年までは『あの素晴らしい愛をもう一度』と答えていた) 『この空を飛べたら』は1978年のヒット曲だからもう40年近くも昔の曲だ。自堕落な学生だった私はそれでもなにか夢を持っていつもこの曲を口ずさんでいた。近く、私がプロデュースするオリジナルCDが出る。世界的な二胡奏者ウェイウェイウーさんを中心にしたメンバーでの演奏。最初の曲は「この空を飛べたら」に決めている。◆「最近感動した本はなんですか?」「キノシタさんが人に勧めたい本は?」などと聞かれることはたまにある。2000年以降は『翼はいつまでも』(川上健一)と答えている。野球、音楽、友情、恋愛、義理、道徳、青春、冒険・・・すべてが凝縮されて詰まっている。お勧め。◆そして今回、また素晴らしい本に出会った。『翼をください』(原田マハ)。これからしばらくは「最近感動した本はなんですか?」と尋ねられたら『翼をください』と答えることになりそうだ。◆『この空を飛べたら』『翼はいつまでも』『翼をください』・・・・気付いたら音楽も本も“空”を関係するものになっていた。◆久しぶりに宝塚の宙(そら)組の公演にでも行ってみようか。... 続きを読む
- コメント (0)
◎2015年04月24日 ---- ボス ◎
- 事が起きなきゃ動かない
-

もう50年近く前のことだ。私が通う小学校の登下校路に交通量の多い五叉路があった。母が毎日のように「あそこは危いけえ十分注意するんで!」と私に注意いしていた。その五叉路で交通事故があり小学生が死んだ。すると、すぐに歩道橋建設工事が始まった。◆その数年後、隣の小学校に通う子供が踏切事故で死亡した。そこも普段から「危ない、危ない」と言われていた踏切だった。事故の後、数か月もしないうちにその踏切に遮断機がついた。◆「危ない、危ない」と言っているうちは行政はなにもしてくれない。事故が起こって初めて動く。行政が的確に動いていれば亡くならなくてすむ命も多かったろうに・・・、50年経った今も「なにか事故が起こらなければ行政が動かない」状態に変化はない。◆「事故が起きる」「テレビが騒ぐ」「与党議員が口をだす」・・この3つのいずれかがなければ行政は「危険な状態」でも放置する。通常の住民の声に対し「予算がなくて」などと答えてくれればまだ良い方。小さな声のほとんどは無視される。◆ドローンなるラジコンの無人航空機が飛び始めた数年前から「危ない」という声は多かった。当然、航空局の役人の耳にも届いていたはずだ。でも彼らは動かなかった。まだ「事故が起きていなかった」し「テレビも騒いでいなかった」し「国会議員からの圧力もなかった」から。「危ない、なんとかしろ」との多くの小さな声を彼らは虫をし続けた◆そのドローンが総理官邸の屋上に飛来し着陸した。大騒ぎになった。テレビが騒ぎ、国会議員が口を出し始めた。やっと行政はその重たい腰を上げ始めた。情けない◆小さな意見や情報は無視し、「事故が起きる」「テレビが騒ぐ」「与党議員が口を出す」まではなにもしない役人なんていらない。◆総理官邸屋上にドローンを飛ばしたヤツは「なんとかしろ!」と警鐘を鳴らしたかっただけなのかもしれない。結果的には日本の空の行政が良い方向に向かい始めた。... 続きを読む
- コメント (0)
◎2015年04月19日 ---- ボス ◎
- 内田一郎先生、ありがとうございました。(その2)
-

留年し、5年目になっても私の単位はまだまだ不足していた。卒論の発表を終え、就職先は前田建設工業に決まっていたが、幾つかの必須科目の単位が取得できないまま後期試験に臨むことになった。ここで一つでも取りこぼすと、さらにもう一年留年となる。最難関は『コンクリート工学』と『水理学』。これまでに試験、追試、再試、再々試と受けたがこの2教科は全く歯が立たなかった。◆『コンクリート工学』は松下博通先生の教官室で最後のチャンス「再々々試験」をマンツーマンで受けることになった。松下先生は、わざわざ私一人のために問題用紙を用意していた。その問題を見た瞬間に「あっ、これは無理だ。オレには解けない」と思った。しばらく悩んでいたら松下先生が言った。「キノシタ、申し訳ない。これからこの部屋に客が来ることになった。悪いけどオマエ、鉄筋研の研究室でやってきてくれ。90分後に必ず戻って来いよ」と。私は親しい先輩や友人が多くいる研究室へ行き、みんなに問題を解いてもらった。90分後、完璧な解答用紙を見て松下先生は笑顔で言った。「よし、合格。キノシタ、よく頑張ったな。これで卒業できるな」と。◆だが実はまだ最後に『水理学』が残っていた。『水理学』はこの年に助教授になったばかりの若いK先生。それまでの椿東一郎(つばき とういちろう)先生の出す試験問題は友人が「傾向と対策」を作ってくれていたのだが、前年に椿先生が退官し、K先生の問題は全く予想がつかない。それ以前に、そもそも『水理学』とやらが私には全く理解できなかった。『水理学』の再々々試験、つまり最後の試験を翌日に控えたその日、私はなんの用事だったのか教務課を訪ねた。すると教務課の、優しい事務のオバサマ、赤間さんがニコニコしながら話しかけてくれた。「あら、キノシタさん、私、間違えてまだ貼っちゃいけないものを掲示板に貼っちゃったみたい」と。見ると壁に「水理学」の合格発表が貼ってあり、私の名前があった。◆「キノシタさん、内田先生に感謝しなさいよ。でも面と向かってお礼を言っちゃダメよ。内田先生が九大でした最後の交渉だったようだけど、これは表には出せない話なの。分かるでしょ?」・・・赤間さんが女神様に見えた。内田先生が仏様に思えた。赤間さんは小さい声で言ってくれた。「これで本当に卒業できますね。おめでとう、キノシタさん」◆詳しくは知らないが「ダメなものはダメ。試験の点が取れてない者を卒業させるわけに行かない」と突っ張るK先生に対し、退官間際の内田先生が「そこをなんとか」と頼み込んでくれたようだ。現在の大学では、一人の学生の合否に関して、担当外の教授が「合格にしてやってくれ」と頼むことなどないだろう。古き良き時代だった。◆内田先生に恥をかかせないように私はその夜、まさに一夜漬けの猛勉強をした。しかし翌日の「水理学」の再々々試験は惨憺(さんたん)たるものだった。恐らく零点だった。K先生は不愉快そうだった。私は内田先生に申し訳ないと思った◆昨日この欄で書いた、内田先生との最初で最後の食事、天麩羅屋には実は赤間さんも同行してくれていた。内田先生は終始笑顔だった。私は赤間さんとの約束どおり、「水理学」のお礼を内田先生に告げることをしなかった。◆その晩、別れ際、赤間さんが優しく微笑みながら「キノシタさん、あの話はお墓まで持って行かないとダメよ。人にしゃべっちゃダメよ」と念押ししてくれた。あれから35年。墓までは持っていけなかった。◆内田一郎先生の訃報に接して思い出した。思い出すと居ても立ってもいられなくなった。昨日(18日・土曜)、いくつかの用事をキャンセルして、山口まで先生にお別れを告げに行った。お礼を伝えに行った。先生は祭壇でにこやかに笑っておられた。「キノシタくん、頑張っていますか?」そう訊かれたような気がした。内田一郎先生、ありがとうございました。... 続きを読む
- コメント (0)
◎2015年04月17日 ---- ボス ◎
- ありがとうございました。内田一郎先生。
-

内田一郎先生に最後にお会いしたのは、博多で開かれた先生の米寿(88歳)のお祝いの会でだった。矍鑠(かくしゃく)とした先生に対し、お祝いの花束を渡す元教え子の方がはるかに老けていた。教え子と言っても恐らく80歳は超えている方だったろうからやむを得ない。明るく笑顔でお礼の言葉を述べていた先生の表情が一瞬曇った。少し間を置いて先生が話し始めた。「実は今日のこの会に、家内も招かれていました。残念ながら少し体調を壊し出席できません。家内からも皆様へお礼を述べたかったようです」と寂しそうだった。その米寿の会の二日後、奥様は逝去された。◆私は内田先生の最後の教え子。当時、九州大学の卒業証書は3月27日付けであったが私のものだけは3月30日付け。私は1年留年し、さらに3日遅れての卒業になった。私の卒業が決まった日「キノシタ君、よく頑張ったね。一緒に食事に行きましょう」と誘ってくださった。大学からバスで30分、天神で天麩羅を御馳走になった。その日は先生が九州大学へ出勤する最後の日でもあった。私は内田先生から直接指導を受けたことはなかった。落ちこぼれだった私は、先生が私のことを知っていてくれたことに驚いた。「一年や二年遅れたって長い人生、どうってことありませんよ。これからコツコツ頑張りましょう」そう言いながら日本酒を私の御猪口についでくださった。そういう先生は東京大学を2学年も飛び級しており、同級生は2歳以上年長の者ばかりだった。◆退官されてからも先生を慕う方たちから招かれ、忙しくされていたようだ。米寿の会は数百人の大パーティーであり、末席の私は先生と一言もお話しできなかった。「おめでとうございます」とお声掛けしただけ。十分なお礼の言葉を伝えることもできないまま、さらに歳月が経った。◆昨日、「内田一郎先生ご逝去」との報せがメールで届いた。◆ありがとうございました。内田一郎先生。... 続きを読む
- コメント (0)
◎2015年04月16日 ---- ボス ◎
- おかしい!産経新聞
-

産経新聞の前ソウル支局長は、韓国の朴槿恵(パククネ)大統領のスキャンダラスな噂をネット新聞に報じたために名誉棄損だとして在宅起訴され、出国禁止措置を取られていた。8か月以上続いていた出国禁止措置が先日ようやく解除され、前支局長は久しぶりに帰国した。韓国のメディアが既に報道している噂を、日本の大新聞が書いたからといってヒステリックに反応する韓国政府の「出国禁止」という措置は、世界の自由主義先進諸国の常識からすれば「異常」である。◆とは言え産経はあの時に、くだらぬスキャンダラスな噂を報じる必要があったのだろうか?「東京スポーツ」や「週刊ポスト」が報じるなら分かる。天下の日本の大新聞が報じなければならない噂ではなかったろう。ほんの少しだが、韓国政府の怒りも理解できる。「産経には悪意があった」と思われてもしょうがない、と思う。◆前支局長が帰国した翌日、産経新聞のコラム産経抄は「・・・(前支局長)は、久しぶりの家族だんらんを楽しんだはずだ。」と書いた。その前日、同じく産経抄は「オバマは・・キューバとの国交正常化を『政治的遺産』として残したいはずだ」と書いた。3月30日には「・・・三津五郎さんも楽しみにしていたはずだ」と書いている。このように産経抄には「・・・はずだ」が異常に多く出てくる。◆今年に入って、4月15日までに産経抄にはなんと23回も「はずだ」という表現が登場している。同じ期間に朝日新聞のコラム天声人語には引用文で一度「はずだ」が出てくるだけ。23対1、これも「異常」ではないか。◆「手を離せばボールは下に落ちるはず」「強く叩けばガラスは割れるはず」などとの物理的に自明のことに「はず」が使われるのは問題ない。しかし「彼はこう思ったはず」「彼女はこうしたはず」と自分の推測を「・・はずだ」と断言し、それを繰り返す産経の思慮の浅さを憂う。不愉快に思う。◆「この記事を流せば韓国嫌いの日本人は喜ぶはずだ」「この記事を流しても韓国政府は産経新聞に対してなにもできないはずだ」「韓国のメディアが流した記事なのだから(事実であろうがなかろうが)名誉棄損にはあたらないはずだ」・・・・そんな気持ちが前支局長にあったはずだ。・・・・・もとい「そんな気持ちが前支局長にあったのかもしれない」... 続きを読む
- コメント (0)

