‘ボス’ の記事一覧
◎2016年11月08日 ---- ボス ◎
- ダサい! 所詮、松坂屋はあの程度。
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銀座6丁目、銀座通りに面して巨大なビルが完成を迎えようとしている。工事中のネットが剥がされその全貌が銀座通りから見えるようになった。私の感想は「ダサい!」の一言。◆おそらく銀座では最も大きな商業ビルになるのであろうがその姿は時代遅れの軍艦ビルみたい。向かいのユニクロ側から見たら銀座通りにドーンと大きな壁ができた感じ。まだ工事用のネットがかけられているときの方が期待感もあり、すっきりしていたように思う。なぜ日本の建築物はもう少しデザインを凝らないのか?情けない。◆三越、高島屋、伊勢丹、松屋、大丸など数あるデパートの中で、いつしか銀座6丁目の松坂屋だけが30年前あたりからダサくなっていっていた。最高の立地を生かし切れていなかった。だから私は建て替えられた新しい松坂屋(実際は「松坂屋」という称号はこのビルには使われないが)に期待していたのだが、まずその外観で裏切られた。◆所詮ダサい松坂屋は建て替えられ名前が変わっても「ダサい松坂屋」のままなのだろうか。少なくとも外見は残念!
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◎2016年11月08日 ---- ボス ◎
- 合議制は弱い
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トヨタには豊田家が、ホンダには本田家が、創業家として大株主としてお目付け役として今なお君臨している。この豊田さん、本田さんの存在が大きいのだと私は思っている。トヨタには豊田家がホンダには本田家があるのにニッサンには日産家がなかった。創業家の監視のない大会社はやがてサラリーマン社長が合議制で選ばれる。ニッサンに限らず、どの会社でも、多くのサラリーマン社長は創業家と違い「自分が社長でいる間は・・・」「自分が社長でいる間に・・・」と物事を考えてしまう。決断力のないトップはすぐに合議制を持ち込む。社長のリーダーシップが失せて何事も取締役会で判断しようとするようになる。徐々に徐々に「会社としての意思決定」が遅れてくる。おそらくそんなことでジワジワとニッサンは弱い会社になっていっていたのだろう、と私は勝手に推測している。◆弱体化している会社を救ったのがゴーン社長。強いリーダーシップを持ってまるで創業社長のように決断実行していく。そこには日本的な「しがらみ」など入り込む余地はなかった。リーダーのいない合議制の弊害を示してくれた。しかし残念ながら「合議制は弱い」と気づいた人はごく少数であった。◆ヒットラーのおかげで世界中から強いリーダーが消えた。我が国はその最たる例。強いリーダーは要らない。「合議制で決めましょう。多数決で決めましょう。多数決といっても少数意見を無視することもやめましょう」・・・これでは何事も決まらない。すべての問題が先送りされていく。なにか問題を解決しようとすると「なぜそれを今やらなけりゃならないのか?」などの質問が必ずでる。いくら「今でしょ!」と言っても「なぜ今なのか?」と聞いてくる。◆プーチン、習近平、金正恩、ドゥテルテ・・多くの国が強い指導者の元、動いている。決断も行動も早い。我が国だけがのんびりと「合議制」で動いているような気がしてならない。
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◎2016年11月01日 ---- ボス ◎
- ドゥテルテ いいじゃない!
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私はフィリピンのドゥテルテ大統領が好きだ。強い意志で、危険を顧みず、悪(麻薬犯罪)と戦っている。アメリカのオバマ大統領などがその過激な政策に対し、人権擁護の立場から批判するがドゥテルテは「正義のためなのだから、そんなのカンケーねえ」とばかりにオバマ大統領をののしる。◆私が「ドゥテルテ、素敵じゃない」「自分の命を賭けて麻薬犯罪撲滅を目指すリーダー、すごいよね」と飲み屋で言うと回りで飲んでいた方たちが皆、私に同調してくれた。そうだ、おそらくほとんどの日本人が、どう少なく見積もっても日本人の男性の過半数を超える者が「ドゥテルテ、いいじゃない」「ドゥテルテ、頑張れ!」と思っている。中国の習近平国家主席との会談時、記念撮影でガムを噛んでいた。いま、習近平の前でガムを噛める男はドゥテルテ以外に一人もいないだろう。かっこいい。◆本音を言えば、日本人男性の多くが「デゥテルテ、いいじゃない」と思っているのに、テレビのコメンテーターは誰一人ドゥテルテを誉めようとしない。「私はドゥテルテ好きですよ」とは言わない。もし、そんなことを言ったら人権派を名乗る連中から袋叩きにされるから。ヘイトスピーチと違い、「ドゥテルテ大好き」というのはなんの問題もないだろう。それなのに言わない。◆「炎上」や「クレーム」が怖くて、本音が言えなくなったコメンテーターなんていらない!... 続きを読む
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◎2016年11月01日 ---- ボス ◎
- なんで豊洲市場屋上にヘリポート? ムダ!
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「豊洲市場で盛土がされなかった問題」と各テレビは報じるが私は「盛土しなかったことは問題ではない」と私は土木技術者としてこの欄で主張してきた。「盛土していたら安全。盛土しなかったから危険」なんてことはない。安全の観点からなら盛土よりもコンクリート打設の方が安全だろう。「盛土をせずコンクリートを打設したからオカネが余分にかかった問題」というのなら分かる。マスコミはこの辺をもう少し慎重に報じるべきだろう。◆この豊洲市場問題をテレビで眺めていて驚き、腹が立ったことがある。なんと豊洲市場の屋上にはヘリポートがあるのだ。しかもそれは「ヘリが降りることができないヘリポート」のようなのだ。馬鹿じゃなかろうか!都民の税金をムダに使うな!私は東京都民として、そしてヘリポートの専門家として、このムダなヘリポートが作られたことに激しい怒りを感じている。「マスコミよ、くだらぬ盛土問題ではなく、この分かりやすいヘリポート問題を騒げ」と言いたい◆消防庁が中心となって高層ビルの屋上には消火活動用のヘリポートの設置がほぼ義務化されている。これは万一の火災時に、屋上から救助するためであったり、消防隊が突入するためである。高層ビルでは放水が届かないし、ハシゴ車も届かないためである。そしてこの高層ビル屋上のヘリポートは火事のとき以外はヘリコプターは着陸できないのだ。正確には「ヘリポート」ではなく「緊急離着陸場」という。高層ビル火災のための施設である。その高層ビルの火災時のために必要な「緊急離着陸場」がなぜか高層ビルでもない豊洲市場の屋上に設置されているのである。なんのために、だれがこんな不要なものを設置したのか分からない。私は、私のまわりのヘリコプター業界の人たちに聞いたが、ヘリコプター業界の人は誰も知らない。このヘリポート設置をするためには柱や梁を補強する必要もあり、おそらく数千万円はかかっただろう。こんな壮大なムダこそ追及するべきじゃないの?マスコミさん。... 続きを読む
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◎2016年10月28日 ---- ボス ◎
- 吉田拓郎コンサート
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北は埼玉から南は横浜まで、「吉田拓郎 Live 2016」が全国(?)4つの会場で5公演、開催された。パシフィコ横浜であったその最終公演に行ってきた。◆2度の抽選に外れ「ああ今年は拓郎ライブを楽しめないのか」と落ち込んでいたところに偶然、運良くチケットを譲り受けたのだった。ラッキー!・・◆開演の一時間前、午後5時半に着いたパシフィコ横浜ではすでに長蛇の列ができていた。この列に並ぶ観客たちの様子がなんとも寂しい。私と一緒に行ったFさんは「市役所の失対に並ぶオッサンたちみたい」と厳しい差別的発言をしていた。拓郎がすでに70歳、そのファンもほとんどが60歳オーバーだ。色気もなくオシャレもできず、ただあの頃を、あの青春時代を、懐かしみたいために来ている老人たちの列であった。その情けない列に並んでいて、ガラスに映る自分の姿を見ると、普通にその失対の列になじんでいる。ああ、オレも十分に冴えないジーさんになってしまったんだな。寂しく思った。◆それでもやっぱり拓郎と拓郎ファン。コンサートは素晴らしかった。オープニングの「春だったね」で既に全員総立ち。失対の列に並ぶジーさん、バーさんのどこにこんなパワーがあるのかと思うくらい、皆がはち切れていた。拓郎はもっともっと若い。遠目には40歳代、声だって40歳代のものだ。オープニングではさらに「マークⅡ」「落葉」と続いた。その後も休憩なしで2時間半、拓郎は歌いしゃべり続けてくれた。「旅の宿」「全部抱きしめて」「流星」など名曲を堪能した。そしてエンディング。あの「ある雨の日の情景」を観客全員と合唱した。そして最後の締めが「人生を語らず」 観客は総立ちで、まるでチャゲアスの「YAH YAH YAH」のように拳をみんなで突き上げた。◆恐るべし吉田拓郎。素晴らしい夜だった。そういえば春に行ったボブディランのコンサートはサービス精神の全くないボブディランにがっかりしたが(「風に吹かれて」を歌わないのだ!)、昨夜は拓郎がとても味のある「風に吹かれて」を歌ってくれた。 ノーベル賞はボブディランではなく吉田拓郎にあげればよいのになあ。... 続きを読む
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◎2016年10月27日 ---- ボス ◎
- Aクラス美女
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今年の春、我が社の近所にレンタルルームがオープンした。入り口には「45分、1600円~」と看板が立っている。最初は「誰がこんなところを利用するのだろうか?」と思っていた。「TSUTAYA」や「ローソン」に行くときなど、私はこのレンタルルームの前を一日に何度も通る。すぐに気付いた、「ここは風俗で利用されているのだな」と。若い男女の利用が多いが彼らはカップルで入ることはない。男も女も一人で入って一人で出てくる。女性はスマホの地図で探しながら来る人が多い。入るときと出るとき、女性はどこかに電話をしている。◆「風俗利用」と気付いたら私の好奇心がくすぐられた。この道を通る機会が増えた。3回通れば1度くらいの割合で風俗嬢を見かける。キレイな女性とすれ違うと、彼女がそのレンタルルームに入るのではないだろうかと気にかかる。入らずに直進する後姿を確認してなぜだかほっとする。この店に入る風俗嬢は「いかにも」といった感じの、アタマの軽そうな、安っぽい服を着た、清潔感のない女性が多い。「あっ、こいつは入るだろうな」とすぐに分かる。まず間違いなく予想は当たる。◆昨日、たまたま「ローソン」の帰り道、当社の女性社員Yさんと一緒になりそんな話をしながらレンタルルームの前を歩いていた。Yさんも私と同じことを思っていたようで「私も、ちょっと見ただけで『ああこの人はそういう人なんだろうな』って分かるようになりました」と言っていた。「だいたいC級の女性だよね。でもたまにBクラスの女の子もいるよ。でもキミのようなAクラスの女性はいないよね」・・・私はセクハラまがいの言葉を正直に言った。「まっ、私がどうかは知りませんが確かにAクラスの女性はいませんね」とアタマの良いYさんは上手に返してきた。ちょうどその時、向こうからまさにAクラスの美女が歩いてきた。私は小声で「この女性は入らないようね?」とYさんに言った。Yさんも「ええ、この人は違いますね」と言った。我々はそのAクラス美女とすれ違った。「まさか」と思いながらそのAクラス美女がレンタルルームに入るのではないかと振り向き振り向き歩いた。するとビックリ、その美女はすっとレンタルルームに入って行った。◆私は決して風俗を利用することなどないのだが「あんな美女がこんなところで・・・」と唖然とした。Yさんに「今頃、思わずラッキーって喜んでいる男があそこに一人いるんだよね」とまたしてもセクハラ発言。賢いYさんは「そうですね、確かにあんな女性がやってきたら、オトコの人はラッキーって叫ぶかもしれませんね」と。... 続きを読む
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◎2016年10月26日 ---- ボス ◎
- ペイズリー禁止
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久しぶりの、秋らしい青空だ。朝、一旦オフィスへ入ったがもったいないので愛宕神社まで散歩にでかけた。大きな心配事もなく、嫌なこともなく、秋の晴天のもと散歩ができる。幸せなことだ。これまで苦しかったことも多かったがその分だけ些細なことに幸せを感じるようになったのかもしれない。◆この時期になると毎年何本かネクタイを購入する。蒐集というほどではないがネクタイを沢山持っている。おそらく平均的なサラリーマンの10倍は持っているだろう。毎朝、スーツとワイシャツを選んだあと「さてどのネクタイにしようかな?」と数本をピックアップして鏡の前に立つのも幸せを感じる一時である。100本近いネクタイの中からその日の気分にあったものを選ぶ。このひととき、なかなか楽しい。◆いろんな柄のネクタイを持っているがペイズリーは一本しか持っていない。ペイズリーが嫌いなわけではない。ネクタイ売り場に行ってまず目につくのがペイズリー柄。思わず手に取る。「いいなあ」と思うが購入はできない。◆もう30年も昔の話だ。「エトロ」が銀座松坂屋に出店した。ペイズリー模様がなんともオシャレだった。その頃はじめて「ペイズリー」という言葉を知った。ある日、私のビジネスの師匠であり当時私が在籍した会社のオーナーであった酒井邦恭さんと話をしていた。酒井オーナーはとてもオシャレな方で、美術や書にも造詣が深かった。私のことを随分と可愛がってくれた。銀座のオーナー事務所に呼ばれて行ってもほとんど仕事の話はない。雑談や美術の話が多かった。そのとき、たまたま「エトロ」の話題になった。「キレイですよね。でも僕には高すぎて買えません」・・・そんなことを私が言った。酒井オーナーは笑顔で「ああ、あれはキレイだな。でもな、キノシタ、ペイズリー柄は身に着けちゃいけないよ。ペイズリーを身に着けるとおカネが近づいてくれなくなるよ。気をつけな」と言われた。酒井オーナーは毎日、ミッソーニやソニアリキエルなどの派手なネクタイを楽しんでられたが確かにペイズリー柄はなかった。◆それ以来、私はデパートのネクタイ売り場で、感じの良い女性店員が「これお似合いですよ」とペイズリーを勧めてくれても「ある事情があって我が家ではペイズリーが禁止なのです」と答えている。ネクタイに限らず洋服の裏地も、靴下も、カバンも、我が家ではペイズリー禁止になっている。 ◆(2年前、米国出張時、サンフランシスコのノードストロームでふと魔が差してゼニアのペイズリー柄のネクタイを買ってしまった。買ってしまったからには、とたまにしている。)... 続きを読む
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◎2016年10月25日 ---- ボス ◎
- 西鉄グランドホテル
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出張で福岡に来ると西鉄グランドホテルに泊まることにしている。学生時代や若い頃には高級シティホテルの代名詞のようだった。ロビーで待ち合わせをするだけでそわそわしていたことを思い出す。30年経ち、少し色褪せた感じはするがそれでもそのホテルを福岡の常宿にできるようになったことに喜びを感じている。◆家人は福岡出身であるので家人の実家に泊まることは勿論可能だが、やはり落ち着かない。お互いに気を使う。仕事での福岡はやはり天神近くに泊まり、若い頃には行くことが出来なかった綺麗なオネーサンのいる店などで、博多弁を聞きながらウィスキーを愉しむに限る。大好きな博多の夜は楽しい。◆だがそんな福岡の、西鉄グランドホテルのチェックイン時に気になる光景を目にした。私の隣でチェックインしようとしている紳士にフロントの係りがキーを渡しながら「お部屋は3階の◯◯◯号室です。禁煙のお部屋です」と言った。キーを受け取りながらその客は「えっ?禁煙室なの?」と聞いた。するとフロントは「タバコをお吸いになるんですか?」とその客に聞き返した。客は「ああ」と答えた。その次のフロントの対応に驚いた。そのフロントマンは「後ほどすぐに灰皿をお持ちします」と答えたのだ。客は納得してエレベーターの方へ歩いて行った。◆そんなのあり? 西鉄グランドホテルでは客が吸いたいと言えば禁煙室でも灰皿を部屋に持って行って「はい、どうぞ」なの?◆私は次回からホテルを変えることにした。... 続きを読む
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◎2016年10月21日 ---- ボス ◎
- ジャズパーティー
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「遊びの時くらいは真面目にやれ!」「遊びのできないヤツにまともな仕事ができるか?」・・・そんな言葉が大好きである。◆客や取引先との仕事の話が終わって「一杯飲みに行きましょう」と新橋や銀座に繰り出す。私はそこで相手の力量を見定める。おいしい料理とお酒がでても一所懸命に仕事の話の続きをする賢くないヤツが意外と多い。「酒を飲むときでも私は仕事のことを考えていますよ」とバカなアピールでもしたいのか?こういう人と食事をすると悲しくなる。「あなたの人生は仕事だけなのですか?」と皮肉りたくなる。◆かつて私の大嫌いな経済評論家が『麻雀・カラオケ・ゴルフは、おやめなさい』との本を出した。そこそこ売れた。私はその本を読んでいないが、題名だけで腹が立つ。学者かデイトレーダーならともかく我々は人と関わりあって生きている。「人と一緒に遊ぶ」ことが結果、経済を豊かにすると私は信じている。少なくとも「遊ぶ」ことで、その人の人生は豊かなものになる。『テレビゲームは、おやめなさい』と私は言うが『麻雀・カラオケ・ゴルフ』は『おやめなさい』ではなく『おやりなさい』だろう。麻雀人口、ゴルフ人口の衰退と、景気の後退はリンクしているではないか。◆お酒・グルメ・音楽・美術・映画・恋愛・旅行・・・・これらはすべて「遊び」である、と私は思っている。人生は『遊び』『勉強』『仕事』からなっている。そのバランスが大切。『よく学び、よく働き、よく遊べ』である。◆さあ今夜はわが社主催のジャズパーティー。お客様や仲間たちと楽しく盛り上がろう。これが今後のより良い仕事につながると信じている。... 続きを読む
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◎2016年10月20日 ---- ボス ◎
- 秋場毅さん、納骨
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昨年9月30日、この欄で「不義理」と題して、私が大変お世話になり、大好きだった先輩、秋場毅さんのことを書いた。◆あまり差し出がましいことも慎むべきだろうが、もし秋場さんが無縁仏となってしまうことがあるようだったら私が墓を準備するつもりであった。将来、自分が入る墓の隣に秋場さんの墓を作り、そこに先に入っておいてもらおうと思っていた。家人にもそのことを話していた。お金も準備もしていた。◆先週、前田建設時代の秋場さんの同僚だった方から連絡をもらった。いろんな処理が終わり、秋場さんの両親の墓が分かり、そこへ秋場さんも入ることになったということだった。私は安心した。その墓は静岡県御殿場の近くにある。この週末(22日・土曜)納骨式だという。もちろん私も参列する。無縁仏として処理されるかもしれなかった秋場さんを無事ご両親のもとへ導くことに大変なご尽力くださった秋場さんの同僚、新谷良司さんに深く深く感謝する。
[以下 昨年9月30日の文]
昭和57年に九州大学を卒業した私は前田建設工業(株)の東京支店に勤務することになった。夜行列車で単身上京した。最初の勤務地は練馬区石神井公園の橋梁工事の現場であった。当初は江戸川区にある社員寮から通っていたが、現場が忙しくなるとほとんど毎日仕事場に泊まり込むことになった。当時の作業所にはいわゆる「飯場(はんば)」と呼ばれる宿泊施設があった。六畳間に五人が寝ることも珍しくなかった。◆入社1年目の正月休みの間、私はその作業所に当直勤務を命ぜられていた。大した戦力にならない1年生を現場が休みの間当直させ、正月休みが開けたら代休を取らせるという所長(私の恩人・川嶋氏)の配慮があったのだと思う。その当直期間中に私は扁桃腺炎で高熱を出し寝込んでいた。◆39度3分の高熱に苦しみ、食べるモノもなく一人煎餅布団に寝ていた。元日だったか二日だったか、3年先輩の秋場毅(あきばたけし)さんが車で様子を見に来てくれた。手におせち料理を持っていた。吉祥寺の自宅から通っていた秋場さんは私が正月に一人で当直しているのを可愛そうに思い、母親の作ったおせちをわざわざ持ってきてくれたのだった。もちろん私が寝込んでいることなど知らなかった。布団の中の私を見て「キノシタ!どうした?大丈夫か?」と心配してくれた。私はなんとか布団から這い出て、久しぶりの食事をいただいた。おかげで翌日は熱が38度3分まで下がったことを覚えている。39度3分の熱が38度3分に下がると随分と元気になった気がした。翌日も翌々日も、秋場さんは母親の手料理を持って私を見舞いに来てくれた。若い私は三日後には元気になった。◆私が前田建設工業を辞めてからも秋場さんとの交流は続いた。飲み会があるといえば電話をくれ「オマエも来いよ。みんな会いたがってるよ」と誘ってくれた。私は秋場さんを通じて、お世話になった前田建設工業との繋がりをずっとずっと維持できた。その秋場さんが病に倒れ前田建設工業を辞めたのは10年くらい前だったろうか。週4回の透析を続ける秋場さんは会うたびに痩せ、老けていった。こちらが誘っても「お酒も飲めないし、食事も一緒にできないから」などと言ってやんわりと断られた。歩くこともきついようだった。◆昨日、ある方から秋場さんの死を知らされた。「今年の2月に亡くなられたそうだ」と彼は言った。生涯独身であった秋場さんは一人住まいのアパートでひっそりと亡くなっていた。昨日まで、アパートの大家以外は誰も秋場さんの死を知らなかった。秋場さんには親類縁者もいなかった。◆あのときお母さんの手作りのおせちを私に届けてくれた秋場さんに、前田建設工業との縁を繋ぎ続けてくれた秋場さんに、私はなんの恩返しもできなかった。◆偉そうに「義理・道徳」が最も大切だ、などと言いながら、私はまた大きな不義理を犯してしまったことに気づき、苦しんでいる。◆秋場毅先輩、ありがとうございました。ごめんなさい。安らかに眠ってください。ごめんなさい。... 続きを読む
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