‘ブログ’ の記事一覧
◎2015年11月18日 ---- ボス ◎
- チカンを捕まえる
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「女風呂とか更衣室を覗きたいと思うのはオトコなら普通の欲求。しちゃあダメだけど、まあ、理解できる。でもな、絶対にしちゃあダメなのは痴漢。もしオマエが痴漢行為をしたら父さんは絶対に許さないからな!」と自宅で酒を飲みながら息子に注意をしたことが何度かある。「するわけないでしょ!」と息子は反発する。家人は家人で「お風呂や更衣室は覗いてもいいような言い方はやめて!」と言う。まともな注意をしたつもりなのだが、こちらが非難されてしまう。おかしい◆痴漢を捕まえて駅員室まで連れて行ったことが二回ある。どちらとも15年くらい前のことだ。◆当時私は海浜幕張からJR京葉線で新木場へ通っていた。私の乗る快速電車は毎日、超満員だった。決して美人ではない、全く女性としての魅力のない、三十歳くらいのその人といつも同じ電車になった。◆その朝私はいつものようにドア付近に立ち本を読んでいた。決して美人ではない、女性としての魅力の全くないその人も私のすぐ近所に髪の毛をボサボサにしたまま立っていた。私は、すぐ近所で痴漢行為がなされているなど全く気付いていなかった。新木場駅に到着する寸前、あの美人ではない女性が大声を発した。「チカン、チカン! こいつチカンです!」 ドアが開いた。乗客はホームに押し出される。女性は男の腕をつかんでいる。一番近所にいたのが私だった。正義感の強い私は瞬間的に、その男が逃げないように彼の服をつかんだ。◆女性は美人ではないし、女性としての魅力もないし、髪の毛はボサボサだ。男はこれまた貧相な五十歳代後半。情けない風体だった。私に服をつかまれで観念したのか、その男が謝りはじめた。「ごめんなさい、ごめんなさい。もう絶対にしませんから・・」 すると女が大声で男をののしる。その言葉がすごかった。その美人ではない女性は自分のことをオレと言った◆「テメエ、オレのケツをずっと触りやがって!このヤロー。黙って我慢してたら調子に乗りやがって!オレのケツずっと触ってたろうが!この手で!」 確かに彼女は「オレのケツ・・」と何度も言った。「オレのケツ」と言った決してオカマではない。単に育ちの悪い、知性も魅力もない女性だった。私は貧相な男の服をつかんだままだったが情けなくなった。「おじさん、よりによって、なんでこんなオンナのケツなんか触ったの?」と聞きたかった。いや、心のどこかで「オレ、強く握ってないよ。振り払って逃げたら逃げられるかもよ」とさえ思っていた。しかしその貧相なオトコはおとなしかった。「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し「なんとか見逃してくれませんか?」と私とその魅力のない女性に懇願してきた。◆「はい、どうぞお逃げなさい」と言うことはできない。女は「ふざけるなよ、この変態ヤローが!」となお毒づいている。私にうながされ男は素直に駅員室に入って行った。「チカンです」私は男を駅員に手渡した。駅員は「ありがとうございました」と言った。名前は聞かれなかった。男を引き渡すと私はそのまま会社へ向かった。◆その翌朝、またあの魅力のない女性と同じ電車になった。女は「昨日はありがとうございました」などとは一言も言わず、会釈もせず、昨日と同じドアの脇に立っていた。私のことは無視した。◆私は少し後悔していた。そしてこの育ちの悪い女に対し大変腹を立てていた。・・・・・それでも私はその数か月後、またしても新木場駅で痴漢を捕まえてしまった。2回目の痴漢を捕まえた話はまた後日・・・・・。... 続きを読む
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◎2015年11月11日 ---- ボス ◎
- 大満足 のちに ちょっぴり激怒
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昨夜は当社の創立記念パーティーを華々しく、大手町の『コットンクラブ』で開催した。当社社員やお客様、私の友人や家族まで含めて総勢170名の大パーティーとなった。冒頭、私が挨拶をした。「義理・道徳」を忘れず心掛け、人様に後ろ指を指されることだけはないように私自身は生きてきたしエアロファシリティーもそういう会社である、とお話をした。「義理・道徳」に続いては「美・粋・遊び心・道草精神」を常に意識して仕事をしていることを報告した。パーティーの司会はあの及川奈央さんが引き受けてくださった。ゲストはあのウェイウェイウーさんの率いるカルテットの演奏。とてもとても素晴らしいものになった。すべてのお客様が大満足の様子で帰って行かれた。◆私も大満足であった。お客様が帰られたあとの当社社員たちも満足そうであった。準備に励んでくれた皆様に心からお礼を言いたかった。「ありがとうございました。お疲れ様」◆「美・粋・遊び心」を十分伝えられたパーティーではあったが実は私はさらに「美・粋・遊び心」を仕掛けていたつもりであった。私と準備会社の意思の疎通が十分ではなかったのかチェックが甘かったためにそれが実現できていなかった。残念。悔しい。激怒。◆パーティーには女性客が当社社員を含め40名程度いた。この女性客には、女性客ならではのお土産を入れるようにと指示をしていた。「中に入れるモノはコレ」と写真で確認していた。
◆フィレンツェのサンタマリアノッベラ薬局の紙香水。これなら女性客は自宅に帰り、あるいは帰りの電車の中でお土産を開けてみて「うわっ、素敵!さすが木下社長! 粋だわ!遊び心あるわ! きっと銀座で仕入れた情報ね!オシャレね!」となると思っていた。◆自宅に帰ると、(我が家からは3名の女性がパーティーに参加したのだが)だれも「お土産までステキだったね」と言わない。彼女らのお土産を見せてもらった。「なんじゃ、こりゃ?」こんなものをもらって喜ぶ女性はいない! 私は激怒した。◆なぜ事前に、お土産の実物を確認しなかったか? 「お土産はコレ」と写真付きで決めたのは2か月前。実物を確認するチャンスは十分あったのに・・・。前日の夜、オフィスでもない場所で「担当者から言付かってます。お土産はこれです」と袋を渡された。信用しきっていた私は袋だけを確認して中身のチェックをしなかった。あそこで「これじゃない!写真と違うじゃない!」と気付いても遅かっただろう。◆一旦、100点満点を付けたイベントであったが「終わり悪けりゃすべてダメ」とは言わないが、完璧を目指す私はくやしくて眠れなかった。◆パーティーに参加してくださった女性のみなさん、ごめんなさい。私のチェックミスです。... 続きを読む
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◎2015年11月10日 ---- ボス ◎
- 創立20周年記念パーティー
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とうとう今日になった。我が社の創立20周年記念パーティー。朝、7時30分にデスクに付きパソコンを開くと私の大恩人、川嶋信義さんの奥様からメールが届いていた。昨日、ご自宅のある三鷹から川嶋さんの眠る千葉のお墓に行って「明日はあなたの代わりに私が木下さんの20周年記念パーティーに出席してきますからね」と伝えてくださったとのこと。嬉しくて、寂しくて、朝から涙が止まらない。◆パーティーの準備は万全だが、実は最初に行うことになっている私の挨拶の言葉をまだ全く考えていなかった。一言でいいな、と思っていたのだが、なんやら話したいことが増えてきた。さて、私の挨拶の言葉、ここで練習してみよう◆「私は今から34年前、昭和57年に九州大学の土木工学科を卒業して前田建設工業の東京支店に勤務します。大学では留年をしてしまい5年間かかっての卒業でした。前田建設では工事現場のいわゆる現場監督をやったのですが、まあ良く働きました。とにかく一所懸命に働き、勉強もしました。わけあって昭和63年に前田建設を退職し、大陽工業という会社へ移ります。今から20年前、平成7年には大陽工業の取締役航空事業部長という肩書を持っていました。ヘリコプターの整備・販売・運航を行う仕事をしていました。部下は50名。私の母親よりも年長の部下もできました。ところがバブルの崩壊で事業部を閉鎖することを銀行と大陽工業の本社から要請されたのがその前の年です。別会社を作り、運行部門だけは切り離します。これが現在、新木場の東京ヘリポートにありますフライトセーフティー株式会社です。フライトセーフティーを独立させたあとヘリコプターの整備・販売部門は閉鎖することになっていました。可愛い部下に辞めてもらうときは本当に苦しかった。毎日、毎日、憂鬱な日々でした。◆その頃、業界内で親しくさせていただいていたのが当時、第百商事株式会社の大阪支店にいらした木村さんです。木村さんは東京出張のついでに良く私のところを訪れてくれ、いろんな話をしていました。私と木村さんは同い年。木村さんは私の出身地である大分の大学を卒業されていたという妙な縁も感じていました。◆今から20年前、平成7年の1月にあの阪神淡路大震災が発生します。残念ながらヘリコプターは殆ど活躍できませんでした。我々は、その状態を反省しながら『災害の時に活躍できるのがヘリ、ヘリコプターの最も有効な活用方法活用目的は国民の安全を守るためのものだ』ということを確信します。また、神戸ヘリポートの状況を木村さんにお聞きしました。するとシャッターが開かない格納庫やエプロンの地盤沈下で出動できないヘリコプターがあった、とのことでした。私はもともとが土木屋です。建築もそこそこ詳しい。ヘリコプターが分かり、ヘリポートが分かり、土木建築が分かる者は日本にはそう多くありません。大陽工業の航空事業部を閉鎖するのではなく、事業の方向を思い切って変えて、ヘリポートや格納庫を作る専門会社にしようと思い至ったのです。◆「安全のためのヘリコプター・・・警察ヘリ、防災ヘリ、消防ヘリ、自衛隊ヘリそれから当時はまだなかったドクターヘリに焦点を絞ったヘリポート、格納庫の会社なら十分に利益が出せる」と確信しました。すぐに事業計画書を作り前田建設工業の元上司である川嶋さんのところを訪問しました。勝手に前田建設を辞めたのですが、私が辞めた後も川嶋さんは私に優しく接してくれていました。川嶋さんが随分と骨を折ってくださり、前田建設工業が当社への出資を決めてくれました。「出資はするけどいっさい口を出さない。オマエの思うようにやってみろ」そんなことを言われました。ところが苦しいことの連続です。苦しい時は川嶋さんに相談する、するとなんとかなる、そんな繰り返しでした。◆当社もやっとなんとか事業が安定してきたかな、と思えるようになったとき、その川嶋さんが病に倒れ、あっと言う間に天国へ行かれました。今日は奥様が川嶋さんの写真を持ってきてくださっていますが、一番ここに居て欲しかったのが川嶋さんなのです。残念です。◆私は幼い時に父を亡くしたので随分と苦労しました。社会人となっても随分と苦労を重ねました。そんな中で会社経営に於いて最も大切なことは「義理と道徳」というところに行きつきました。残念ながらまだまだ義理を欠くことは多いのですが、そうならないように注意しています。さらには「美・粋・遊び心・道草精神」を大切にしています。エアロファシリティーの仕事は「義理・道徳」に反せずかつ「美・粋・遊び心・道草精神」が無ければなりません。◆長くなりました。これからもまだまだここにおられる皆様方のご指導応援が必要です。社員一同、さらに頑張って参りますのでどうぞよろしくお願いいたします。今日は、日ごろの感謝の気持ちを表したい、と切に願っています。ウェイウェイウーさんの音楽、最高です。楽しんでください。お酒や歓談も楽しんでください。... 続きを読む
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◎2015年11月09日 ---- ボス ◎
- 慌てる
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毎週、週末はゴルフを楽しんでいる。一昨日の土曜日も私のホームコース、千葉県君津市のロイヤルスターゴルフクラブでのラウンドを楽しんだ。◆早朝5時半に広尾の自宅を出て、木更津東インターを降りたのは6時15分だった。インター近くのセブンイレブンに寄る。ロイヤルスターでのゴルフに向かうときのルーティン。私はいつも必ずこのセブンイレブンで「明治ヨーグルトR-1」と「はちみつ黒酢ダイエット」と「おにぎり一つ」と「セブンイレブンのホットコーヒー」を購入する。カップに「ホットコーヒー」を入れながら急いで「R-1」を飲む。続いて「ホットコーヒー」に蓋をしながら「はちみつ黒酢」を飲む。そしてゆっくりと車に戻って「おにぎり」を食べ、コーヒーを飲みながらコースへ向かう。これが私のルーティン。ルーティンを守っているとちょうどコースへ着いた頃、トイレに行きたくなってくる。◆一昨日もそうだった。着替えを終えると私はトイレの個室を目指した。個室は一つだけ空いていた。入るときにトイレットペーパーを確認する。個室にはペーパーが2つ並んでいる。どちらともかなり細くなっているが白い紙を確認した。これもルーティン。「ペーパー、よし!」心の中で声を出した。ゆっくりとトイレを済ませ、ウォシュレットできれいにし、ペーパーに手を伸ばすと・・・・なんとペーパーはなく、白い芯棒だけだった。2つとも芯棒だけだった。さっき「ペーパー、よし!」と確認したのは「紙」を見たのではなく白い芯を見たのであった。迂闊だった。どうしよう・・・。子供の頃なら「かみー!」と叫んでいたかもしれない。あたりを見回すが予備のペーパーは置いていない。「ウォシュレットで洗ったのだ、汚くはない。乾くのを待とうか」・・そんなことを考えて時計をみたらスタート時刻が迫っていた。「このままパンツを上げると気持ち悪いだろうなあ・・」などと考えながらあたりを見回した。◆いいものが見つかった。「便座シート」。私は「便座シート」など使ったことがない。昔、「人のカラダで最もキレイなところ、黴菌の少ないところはオシリだ!」と誰かに聞いたことがあった。それ以来、その言葉を信用して便座シートは使ったことがなかった。◆便座シートは2枚残っていた。1枚を取り出して尻を拭く。「これはいい!」私は心の中で叫んだ。2枚目の便座シートを使って完璧に仕上げた。何事もなかった風に私は個室を出てアウトコースへ急いだ。ふと、「私の後からあの個室に飛び込んだヤツは大丈夫だろうか?」と考えた。「ヤツには便座シートすら残ってないな・・・」そんなことを思いながらのティーショットはびっくりするくらいのナイスショットであった。... 続きを読む
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◎2015年11月05日 ---- ボス ◎
- 拉致被害
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佐伯鶴城高校の普通科の同級生は7クラス280名。子供の頃から交友関係の広かった私は、卒業するころには同級生の全員を知っていた。280名のうち半数は小学校か中学校での同級生であったから、高校の同級生のほとんどすべての者が友達の友達であった。◆卒業するころには「全員を知っている」と思っていたが、アルバムを見てどうしても思い出せない同級生が一人だけいた。今津淳子さんという名のその方だけ、思い出せない。一緒のクラスにはなっていない。高校時代には知っていたのだろうか?話したことはあるのだろうか?◆その、たった一人の、私の記憶にない同級生、今津淳子さんが北朝鮮による「拉致の疑いが濃厚」78人のリストに載っている。◆「昭和60年4月30日、休暇を取って大宮の運転試験場へバイクの免許を取りに行った。同日7時頃、寮の同僚に『これからバスで帰る。何か買い物はないか』と電話連絡したまま消息不明。警察は公開捜査を行ったが目撃証言もなく安否につながる情報もない。同日21時頃最寄りのバス停と寮の間の民家の人が犬が激しく鳴くのを聞く。翌朝その家の人が畑の中に今津さんの両方の靴を発見。『北朝鮮にいる』という情報がある。」・・・と特定失踪者問題調査会の報告書に書かれている。◆私の記憶にない同級生ではあっても、彼女は多くのルートで私の「友達の友達」であることは間違いない。早く、無事に、帰ってきて欲しい。◆記憶に残っていないし、親しくもなかったが、彼女が帰って来たら空港まで駆けつけたい。苦労を重ねた、高校の同級生。なにか言葉をかけてあげたい。◆早く、無事に、帰ってくることを切に切に願っている。
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◎2015年11月04日 ---- ボス ◎
- 懐かしい良い時代
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私の在校時、佐伯鶴城高校には普通科と体育科があった。体育科には野球、水泳、陸上、体操のスペシャリストが全国から集まっていた。普通科の生徒と体育科の生徒は比較的仲が良かったが、やはり深い交流は少なかった。普通科の生徒は全部で280人体育科は40名。大した不良もおらず、イジメもない、居心地の良い典型的な地方の進学校であった。教師と生徒の距離も近く、私も何人かの先生の自宅へ伺ったことがある。生徒と教師の間で繰り広げられるドタバタはそのままテレビドラマになりそうなモノも多かった◆高橋君は佐伯市近郊の漁港である米水津(よのうづ)町の中学を卒業して鶴城へ入学した。当時はまだ交通の便がわるく、自宅からの通学は無理なので、高校の近所に下宿していた。そして同じ下宿に教師なりたての岩田先生もいた。岩田先生は広島出身の英語の教師。高校1年生の私たちは16歳、岩田先生は23歳であった。先生というよりは優しいアニキという感じだった。◆2学期の期末試験が終わったその日、仲のよい4名(私・K君・S君・Y君)が高橋君の下宿に泊まりにいった。高橋君の下宿は、友人が泊まる場合には下宿のおばさんに挨拶しなければならなかった。「期末試験の反省会をします。今夜は泊めてもらいます」・・高橋君を含む我々5人は感じ良くおばさんに挨拶した。この辺は心得ていた。我々は外面を繕うのがとても上手だった。地元では「鶴城の学生さん」というだけで信頼感があった。そんな時代であった。◆夜の8時、「試験の反省会」のフリをしている部屋をおばさんが覗きにきた。「そろそろ玄関を閉めますよ」と言った。我々は期末試験の問題用紙から顔を上げ「はい、大丈夫です。おやすみなさい」と笑顔で挨拶した。おばさんは玄関にカギをかけ、自分の部屋へ戻っていった。◆おばさんが自室へ入るのを確認すると、「待ってました」とばかりに、酒盛りが始まった。酔いが回ってきた夜の11時頃、体育科の山脇君が下宿の塀を乗り越えて高橋君の部屋の窓から入ってきた。映画を観た帰りだ、と言っていた。多分、日活ロマンポルノであったのだろう。そして山脇君は手にウィスキーのボトルを持っていた。宴会は6人になった。山脇君は酒も強かった。山脇君につられて、我々はさらに飲んだ。そのうちY君が気分が悪いと言い出した。「便所に行って吐いてくる」と言って出ていった。◆ちょうどそのタイミングで岩田先生が高橋君の部屋へやってきた。自室で飲んでいたのか、外で飲んでいたのか、岩田先生も既に酒に酔った赤い顔をしていた。トイレで吐いているY君を除いた我々5名は「先生も一緒に飲みましょうよ」と岩田先生を誘った。岩田先生は一瞬困ったような顔をしたもののニヤニヤしていた。驚きも怒りもしなかった。◆そのとき部屋の外で声がした。トイレで吐いているY君に、下宿のおばさんが「どうしたの?大丈夫?」と優しく声をかけていた。「まずいことになった」・・岩田先生、山脇君、高橋君、私、K君、S君は黙ったまま交互に顔を見あっていた。すると酒の匂いに気付いたのか、それまで部屋が騒がしかったことを不審に思っていたのか、おばさんが我々のいる高橋君の部屋へやってきた。部屋は十分に酒臭い。「高橋さん!これはいったい、どういうことですか?」おばさんが怒り出した。◆まず山脇君を見て「あれっ? あなたは、どなた? どこから入ってきたの?」 きつく問い詰める。山脇君が答えあぐねているとおばさんは岩田先生に気付いた。「えっ?岩田先生!先生までもが1年生の生徒さんたちと一緒に飲んでるんですか?えっ?大問題ですよ!」 先生は相変わらずニヤニヤしながらおばさんに答える。「違うんだわ、ワシは今この部屋を覗いたところなんや・・・」広島弁でのらりくらり答えていた。先生は自分のことをワシと言っていた。◆その後、どうなったのか詳細は覚えていない。高橋君の下宿はその事件以来、訪問できなくなった。岩田先生が上手に言い含めてくれたのか、親からも教師からも、この件に関して注意された者はいない。良い時代だった。◆そしてその後、山脇君はマジメに体操の練習に打ち込みオリンピック選手になった。吊り輪に「ヤマワキ」と言う名の技を残した。◆内村航平選手の活躍をテレビで見て、山脇君や当時の仲間たちのことが懐かしくなった。
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◎2015年11月02日 ---- ボス ◎
- 太ももの痛み
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本格的な秋の深まりを感じるこの季節になると必ず、昔痛めた左足太もも裏側ハムストリングがしくしくと痛み出す。◆平成3年か4年だったろう。当時、私の仕事場は新木場の東京ヘリポート内であった。有楽町線の終点、新木場駅で電車を降り、そこからはバスで東京ヘリポートに通う毎日であった。まだパスモやスイカのない時代、電車で通う者は定期券を駅員に見せて改札を抜けていた。切符の者は自動改札機を通していた。◆その日、コートを着ていたから季節は冬だったのだろう。新木場駅で私の前を歩く男は切符を自動改札機に通さずに何かを駅員にチラっと見せて改札を抜けようとした。駅員に止められた。「お客さん、定期券を見せて!」と駅員が詰める。するとその男は「定期券じゃねえよ、今、切符を通したよ」と言い出した。駅員が「いや切符は通してないでしょ!」とさらに詰め寄る。男は「通したよ」と繰り返している。その男の真後ろで彼の行動を見ていた私は「切符入れてないよな、定期券見せるフリしてたけどな」と言って駅員を応援した。駅員は私に「すみません、ちょっといいですか?証人になってもらいたいのですが・・・?」と頼んできた。正義感の強い私はなんの躊躇もなく「いいですよ」と答えていた。◆駅員二人が彼を挟むように歩き、新木場駅隣の交番へ向かった。私は彼らの後ろをついて言った。一人の駅員が彼のコートのベルトをつかんでいた。彼は立ち止まってその駅員に向かってすごんだ。「ベルト持つなよ。逃げねえよ」。交番まで20mくらいのところだった。駅員はベルトから手を放した。その瞬間、ヤツが走り出した。不意を突かれて駅員のダッシュは遅れた。「待て!」と叫ぶが足は動かない。彼を追いかけたのは私だった。右手に大切な書類が入ったカバンを持っていた。放り出すわけにいかない。彼も右手に小さなカバンを持っていた。条件はほぼ同じ。150mくらい追ったが距離は縮まらない。離れもしない。彼と私のスピードは同じだった。さらに追いかける。突然、左足太ももがブチンと切れた。私は歩道に倒れた。私が倒れて10秒くらい経ったころ、駅員が私の横をトロトロと走っていった。駅員もまだヤツを追いかけていたのだ。◆私はタクシーを捕まえて仕事場へ向かった。すごい痛みに耐えて午前中は会議をこなしたが午後から整形外科に行き、夕方は松葉杖をついていた。ハムストリングの肉離れであった。ヤツはおそらく逃げ切ったのだろう。駅員からは感謝の言葉も、お見舞いもなかった。「大丈夫ですか?」とすら言ってもらえなかった。私がタクシーに乗って消えたのだからしようがないか。もちろんタクシー代も病院費用ももらえなかった。◆寒くなると左足太ももが痛む。あの日のことを思い出す。もし、肉離れにならず、ヤツに追いついていたらどうなっていたのだろう。「刺されていたかもしれないな」、そんなことを考えて怖くなる。若い頃は恐ろしいものがなかった。... 続きを読む
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◎2015年10月30日 ---- ボス ◎
- だって・・・
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自宅でソファに寝転んでテレビを観ていた。CMになり、美しい魅力的な、女性の背中が映し出された。セクシー。その美しい魅力的な背中の女性は桃井かおりさんであった。「えっ?桃井かおり?彼女は63~64歳くらいじゃない?えっ、美し過ぎる!」と思った。思ったけど、そのような言い方を私はしなかった。「へえー、桃井かおりだよ。キレイな背中してるね」・・隣に座っていた家人に、上品に言った。私のその言葉に対し家人はこう言ったのだ。「だって、女優さんだもの」◆数か月前、テレビCMで剛力彩芽さんのダンスを見て驚いた。穏やかな和風美人である剛力彩芽さんがとてもキレのあるダンスを披露していたのだ。「えっ、剛力彩芽?おとなしそうな娘さんなのに。えっ、ダンス上手過ぎない?」と思った。思ったけど、そのような言い方を私はしなかった。「へえー、剛力彩芽ってダンスが上手なんだね」・・その辺にいた家人に、上品に言った。私のその言葉に対し家人はこう言ったのだ。「だって、彼女、小さい頃からずっとダンスをやってたんだもの」◆家人の「だって」の使い方はあきらかに間違っている。言葉の使い方がおかしいだけでなく、なにか意地悪さのようなものが感じられた。彼女が使う「だって」というのは、「私だって、女優だったら・・」「私だって、小さい頃からダンスのレッスンしてたら・・・」ということなのだろうか?素直に「本当にキレイな背中ね」とか「ダンス、とても上手ね」となぜ言えないのだろう?私は家人に注意しようかと思ったが、どちらのときも注意しなかった。◆だって、めんどくさくなりたくなかったもん。... 続きを読む
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◎2015年10月29日 ---- ボス ◎
- 挨拶
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お客様などとのお付き合いでもない限り、昼食は取らないようにしている。オカネがないからではない。健康のため、ダイエットである。お昼にはラーメンや牛丼を食べるのではなく、ニュー新橋ビル1階のジューススタンドで生野菜ジュースを飲んでいる。人参・セロリ・ケール・あしたば・パセリ・玉ねぎ・小松菜など13種類の野菜を目の前でジューサーにかけて作ってくれる。これが実にまずい。「青汁」のまずさどころではない。「良薬口に苦し」と言う言葉を信じ、薬と思って毎日飲み続けている。もう2年以上になる。◆お昼がこの野菜ジュースだけだと、たまに持たない日がある。昨日がそうだった。午前中から銀座や五反田へ徒歩と電車で移動した。午後4時に新橋駅に戻ったときにはカラダは疲れ、空腹感は限界を迎えていた。ラーメンかスパゲティーでも食べたいところだったが我慢した。「蕎麦ならいいだろう」と自分に許可した。立ち食いの蕎麦屋に入った。食券販売機で580円の「鴨汁せいろ」を購入し、食券をカウンターの向こうのオニーサンに渡した。オニーサンは片言の日本語で「カモジル イッチョウ ハイリマース」と叫んだ。隣のオネーサンが「ハーイ カモジルネ」とこれまた片言の日本語で返す。見るとカウンターの向こうで蕎麦を茹で、皿に盛っている4人はすべて若い外国人(アジア人)だった。4人とも違う国から来たようである。韓国、ベトナム、ネパール、カンボジア、そんなところか。あるいは中国人かもしれない。◆恐らく日本人よりはずっと安い時給で働いているのだろう。頑張っている。私は銀座のデパートの中でマナー悪く大声でしゃべっている中国人は大嫌いだが、ニュー新橋ビルのマッサージ店で懸命に客の背中や足裏を揉んでいる中国人は大好きだ。応援している。ニュー新橋ビルの外国人はみんなマナー良く頑張っている。◆さて、その立ち食い蕎麦屋。私の隣の席で大学生風の青年二人が蕎麦を食べていた。私が食べている間に二人は席を立った。席を離れる前に、自分の食べたテーブルを雑巾でキレイに拭いていた。そして盆を返却棚に返す時に二人とも「ごちそう様でした」と大きな声で、しかも会釈をしながら、カウンターの向こうのアジア人の店員に伝えた。「アッリトーオッザマシター」アジア人で店員も笑顔で返す。その光景を見て私は嬉しくなった。◆ややもすると、恵まれた日本のバカ学生は勘違いをし、アジアの留学生を蔑んで見ることがある。そういうバカ学生が多くなった。そしてそんな日本のバカ学生は「ごちそうさま」すら言えない。◆だが二人の青年は大きな声で「ごちそうさまでした」と伝えた。◆たまに昼飯を食べると幸せな気分も一緒に味わうことができることもあるもんだなあ。私もゆっくり鴨汁せいろを食し、雑巾でテーブルを拭き、大きな声で「ごちそうさま」と伝えてその店を出た。恵まれないアジアの留学生、頑張れ!謙虚な日本の若者たちも頑張れ!... 続きを読む
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◎2015年10月28日 ---- ボス ◎
- 罪は消えない
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いつ頃までだったかはっきりしないが、昔は容疑者を伝える報道では彼の前科を併せて報道していた。ところがいつのまにか容疑者報道で彼の前科に触れることがなくなった。「懲役刑に服せばそれだけで十分に罪を償った」というバカな、異常に犯罪者に優しい思想を持った人間が報道機関の大半を占めるようになったのだろう。「罪を償った人の前科を報道するのは人権侵害」になるという。バカな話。そんなに簡単に罪が消えてはたまらない。◆無罪報道も同じ。大阪市東住吉区で1995年、保険金目的で自宅に放火して小学6年の娘を殺害したとして、殺人罪などで無期懲役が確定した母親と内縁の夫、両受刑者の無罪が決定しそうだ。無罪が決定すれば、彼らは娘の死亡保険金を受け取り、さらに国を訴えるのであろう。無実の罪で懲役に服した期間20年間の保証を求めるであろう。法律とは、裁判とはそんなものだ。◆彼らが逮捕されたときに報道されたことが、無罪報道になると一転、事実さえ報道されなくなるのはなぜだろう。「死んだ娘は母親の実の娘ではあったが、その内縁の夫とは血縁関係はない」「死んだ娘の膣内からはこの内縁の夫の精液が出てきた(常習的に内縁の夫は娘を犯していた)」「二人には200万円の借金があり返済に困っていた」「カネがないのに11歳の娘に1500万円もの死亡保険金が掛けられていた」・・・無罪報道に於いてはこれらの事実は一切報道されない。◆無罪になるとマスコミは検察の失態ばかりを追求する。無罪になった瞬間、きわめて疑わしい者でも、「悲劇のヒーロー、悲劇の「ヒロイン」に変えてしまう。これでは警察も検察も溜まったものではない。◆ズルい者が喜ぶ社会をマスコミが作ってはいけない。
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