‘ボス’ の記事一覧
◎2024年12月23日 ---- ボス ◎
- 103万円の壁
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◎2024年12月20日 ---- ボス ◎
◎2024年12月19日 ---- ボス ◎
- 運・努力・才能
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否応なく、経営者としての最後が近づいている。次世代へバトンタッチする準備を急がねばならない。経営者としての自分の人生を振り返ることが多くなった。いろいろと失敗や挫折もあったが、十分、合格点はもらえると思っている。◆人生は「才能」✕「努力」✕「運」だと思っている。才能がなければいくら努力しても満足な場所へは行けない。才能があっても努力しなければやはり満足な場所へは進まない。才能があって努力しても運に恵まれなければこれまた同じく満足した人生にはならない◆自分で自分の人生を採点してみる。「才能」60点、「努力」85点、「運」95点。どれも平均点以上。少なくともここまでは充分満足する人生だった。それでも、ときどき思うことがある。「オレにもっと才能があったらなあ・・」と。◆人生がもう一度あったとしても、今回の人生以上の努力は難しい。そしてこんなラッキーに恵まれることもなかなかないだろう。ただ「もうちょっと才能があったらなあ」とはよく思う。「オレに英会話のセンスがあったらなあ」「人の顔と名前を覚えることができたらなあ」◆「英会話のセンス」と「人の顔を覚える能力」があればこの会社はあと10倍は大きくなっただろうな、などと思う。残念だが仕方ない。神様から与えられた「限りある才能」の範囲ではかなり高得点をもらえそうだ、と自分を慰めている。... 続きを読む
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◎2024年12月18日 ---- ボス ◎
- 父 山梨大学卒
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寒い時期になると週末はゴルフをやめて温泉へ行くことになる。豪華なホテルではなくいわゆる「秘湯」を巡っている。先週は山梨県にある「信玄の隠し湯」「地球の体液」とも言われる湯に浸かって来た。湯はとてもいいのだが、宿が予想していたよりもはるかに立派で「秘湯感」は物足りなかった。◆「温泉巡り」には「ぶらり散歩」がつきもので今回は甲府市を訪れた。甲府駅から程近くに山梨大学がある。山梨大学は私の父が卒業した大学である。私は初めてこの父の母校を訪問した。◆休日の学内は閑散としていた。約80年前、わが父はこの辺で真面目に土木工学を学んでいたのかと思うと嬉しいような悲しいような、妙な感動がおこった。父は卒業前に学徒出陣で海軍さんになり南洋へ向かった。残念ながら8歳で父を失った私は父のことを詳しく知らない。◆ふと、父の弟の嫁、つまり私の叔母が30年くらい前に話してくれたことを思い出した。「兄さん(私の父)は絵が好きでね。東京芸大を受けたそうよ。それが合格できず、しようがなく山梨大の土木に進んだそうよ」◆そういえば私が幼い頃、日曜日に父は色鉛筆や水彩で風景画を描いていた。私も姉も幼稚園の頃から絵のお稽古に通わされていた。残念ながら私には絵の才能は全くないが、若き日の父の経歴には大いに興味がある。若き頃の父を知る者はもうどこにもいない。... 続きを読む
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◎2024年12月17日 ---- ボス ◎
- 夢を食って生きて来た
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◎2024年12月16日 ---- ボス ◎
- 天下り
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O君は国交省でとても偉い地位まで上り詰めた後、大手ゼネコンに移った。いわゆる天下り。そのO君は民間企業に移った後も非常に精力的に企業のため、国家のために忙しく働いている。天下ってくる高級官僚がみんなO君のようであれば我が国は元気になるだろう。残念ながらO君は珍しいタイプの天下り官僚だ。O君のような天下りは少ない。◆10年ほど前の話。その日、私は某省の事務次官経験者と彼のオフィスで話をしていた。私と雑談しているところで彼のスマホが鳴った。彼は「ちょっと失礼」と言ってその電話に出た。話の内容は私に筒抜けである。電話の相手は、以前、彼の部下だった人だ。役所を定年で辞め天下ることの報告と挨拶だった。「そうかね、君も定年か。〇〇社に決まったか。おめでとう」とかつての部下をねぎらう言葉が続いていた。彼は部下に慕われる良い親分肌の官僚だったのだ。だが、その次の言葉に私は驚いた。彼ほどの人物でも、こんなことを言うのか◆「天下ったらヒマつぶしが大変だよ。会社近所のジムに通うといい。仕事なんてほとんどないから。役所時代に頑張ったことへのご褒美だと思ってのんびりとやることだよ」と優しくアドバイスしていた。我が国の実態は残念ながらこんな高級官僚ばかりなのだ。... 続きを読む
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◎2024年12月13日 ---- ボス ◎
- ミポリンの突然死
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◎2024年12月12日 ---- ボス ◎
- ミス・インターナショナル
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◎2024年12月11日 ---- ボス ◎
- 引っ越し完了。 さて・・・
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◎2024年12月05日 ---- ボス ◎
- 悲しいクリスマス
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この時期になると必ず思い出す私の「悲しいクリスマス」の話。また今年も書く◆「サンタさんって本当にいるのかな?」と小学2年生のクリスマスまでは思っていた。それが私の最後のクリスマス。年が明けた正月3日、タクシー事故で父が亡くなった。我が家は急に貧しくなった。大分市から母の生家のある佐伯市へ引っ越した。引っ越し先は普通の一軒家の二階。「間借り」だった。一階はたまたま私の同級生、馬場君の自宅だった◆小学3年のクリスマス。「お父さんが居なくなったからクリスマスはないよ」と母に告げられた。私は驚いた。母の顔も悲しそうだった。あれから55年も経ったのに、あの日のことを思い出すと今でも涙があふれてくる◆12月25日、朝から友達がやってくる。一階が馬場君、二階に私が住んでいる。馬場君の家(1階)から声がかかる。「もとみクン。一緒に遊ぼうよ」。私が階段を下りて馬場君の家へ行くとすでに4,5人の友達が来ていた。皆それぞれにサンタさんからもらったプレゼントを持っていた。◆中の一人が私に聞いた。「もとみクンはサンタさんに何もらったの?」。私はなんと答えたのかはっきりとは覚えていない。彼が「あっ、悪いことを聞いちゃったな」という感じで戸惑っていたことを覚えている。そんなことでイジメなんておこらない。みんな優しかった。みんな優しかったが私はとても悲しかった◆あの辛く悲しいクリスマスが私の人生のスタートになっていることは間違いない。◆あのときの私のように「悲しいクリスマス」を迎える子供たちがいるはずだ。なんとか応援してあげたいと思っている。... 続きを読む
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