‘ブログ’ の記事一覧
◎2026年05月19日 ---- ボス ◎
◎2026年05月18日 ---- ボス ◎
- 映画『国宝』の演技
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映画『国宝』を観て主役の吉沢亮さんと横浜流星さんの演技に私は大変感動した。◆恥ずかしながら実はこれまで一度も歌舞伎を観たことがない。(歌舞伎座の近所の飲み屋街はしょっちゅう歩いているのに・・)実際の歌舞伎を観たことのない私もあの演技には「凄い!」と拍手を送った◆銀座のバーに入ると先客がいた。初めて見る顔だった。私とは3つ離れたカウンター席に彼は掛けていた。歌舞伎の唄方の仕事をしていると言った。ママが『国宝』の演技に関して彼に聞き、彼が答えた。「そりゃあ歌舞伎でメシを食っている僕らからすれば(彼らの演技は)本物には全く適わないですよ。細かいところ指摘することはいくらでもできる。そうは言っても、子供のころから歌舞伎の世界にいたわけでもないのに一年足らずの勉強であそこまで演じられることに驚きましたよ。素晴らしい才能と物凄い努力のたまものでしょうね」と彼は言った。◆ひと月ほどたってまたそのバーに行った。ママがほかの客とその話をしていた。「歌舞伎の唄方の人がうちのお客さんにいるんだけど、彼が言うには『本物とは全然違う。全く適わない』だって」とママが話している。◆「ほう、あなたはあの唄方さんの話をそんな風に理解したの?」と私は思ったが何も言わなかった。
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◎2026年05月15日 ---- ボス ◎
- 東山彰良
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ここ15年間の直木賞受賞作家で「文が上手だな」と感じたのは、葉室麟、桜木柴乃、恩田陸、千早茜、そして今日の話の東山彰良。東山さんは台湾出身の台湾国籍の直木賞作家。子供の頃は台湾で育っているので日本語のスタートは少し遅いのではないだろうか。直木賞受賞作の『流』は最近の直木賞の中でも私の印象は際立っている。◆先日、広尾の本屋で東山さんの新刊『ママがロックンロールしてたころ』を購入しすぐに読んだ。少し変わった生き方をする者たちを描いており、ロックに興味ない者にとっては読み進めるのに苦痛も感じるかもしれない。だがとにかく文章がキレイ。私が学生の頃、村上春樹の初期の小説(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』など)に触れ、ストーリーはともかく文章の美しさに感動したことを思い出し、嬉しくなった。
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◎2026年05月13日 ---- ボス ◎
- ♫「江古田スケッチ」
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学生生活を終えて45年が経った。九州大学の(留年を含めた)5年間は夢のような素晴らしい学生生活った。苦労して私を大学まで行かせてくれた母にはいくら感謝しても足りない。◆吉田拓郎の『元気です』を聞くと学生時代を思い出す。「誰も こっちを向いてはくれません 一年目の春 立ち尽くす私・・・」ついつい声が出る。一緒に歌う。大好きな吉田拓郎の曲の中でも特に好きな曲の一つ◆毎週、ラジオで『タブレット純の音楽の黄金時代』を聴く。昭和歌謡を中心に素敵な曲が流れる。先週の放送で『江古田スケッチ』という曲がかかった。これが、いい!江古田版の『元気です』だ。「江古田」を「箱崎」に置き換え、登場人物の名前を置き換えれば、私の学生生活につながる。◆YouTubeで見ることができる。是非、見てみてください。
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◎2026年05月12日 ---- ボス ◎
- 「資さんうどん」
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北九州のソウルフード「資さんうどん」がやっと関東にも出店してきた。「資さんうどん」と書いて「すけさんうどん」と読む。九州独特の、腰の強くない麺にやや甘めのスープ。「ごぼう天入り肉うどん」がお勧め。◆東京1号店は昨年2月、両国にオープンした。元々はファミレスの「ジョナサン」があった場所だ。まだ私は行っていない。食べたいのだが、両国までわざわざうどんを食べに行くほどの元気もない。◆先日、両国に住む友人と居酒屋で飲んでいてその「資さんうどん」の話になった。「で、キミは何回行ったの?」と私が聞いた。すると彼は「自宅からは徒歩5分くらいなんですよ。ジョナサンの頃は時々行ってたんですけど・・。資さんうどんになってから、いつも店の前に行列ができていて、・・結局まだ一度も食ったことないんです」と答えた。彼が続けて話す。「元々『ジョナサン』があった場所でしょ。うちの小3の息子はなぜだか『資さん』と書いて『ジョナサン』と読むって勘違いしてたんですよ。『ジョナサンうどん』っていつも行列だねって言ったんですよ」と大笑い。
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◎2026年05月11日 ---- ボス ◎
- パンツ
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出張や旅行、一泊ゴルフなど外泊する機会が多い。ところがなぜだか最近、着替えのパンツを持っていくのを忘れることが多くなった。不思議だ。◆シャツや靴下などは宿泊分の着替えをスーツケースに詰めるのだがなぜかパンツだけ忘れる。今年になってからでも大阪と広島で「あれっ?パンツが無い!」ということになった。情けない◆「コンビニに行けばなんでも売っている」という時代だがオシャレな私はコンビニでパンツを買えない。◆最近は少なくなったがゴルフ場の風呂の脱衣所で中学生が履くような白いパンツを履いている冴えない男が多かった。さすがに「なんでそんなパンツを履いてるの?」とは聞けなかったがおそらく奥様かお母様が買ってきたものを彼らは黙って履いていたのだろう。情けない。男のオシャレはパンツからだ。パンツくらいは自分で選べ!自分で買え!◆さて、しょうがない、私は昨夜まで履いていたパンツをもう一日履いて大阪駅や広島駅の近所をパンツを求めてうろつくことになる。ところがどこにもパンツがない。衣料品店は多いのだが、どこもパンツを並べていない。「ラルフローレン」「ボス」「ディーゼル」「ミツミネ」「セオリー」「シップス」・・・どこにもパンツはない。恥ずかしくて「下着のパンツはありませんか?」とは店員に聞くことができない。◆結局、大阪では「ユニクロ」で、広島では「無印良品」でパンツを買うことになった。これじゃあコンビニで買うのと大差ないじゃない、と言われそう。オシャレな私にとって、こだわりのある私にとって、フリースや靴下やシャツはユニクロで十分なのだがパンツをユニクロや無印で購入するのは屈辱的なのだ。「おっ、キノシタさん、ユニクロのパンツですね。奥様に買ってもらったのですか?」と言われそうで嫌なのだ。かと言って一回しか履いていないパンツを捨てる勇気もない。私の下着タンスには一度しか履いていないユニクロパンツと無印パンツが4枚もある。情けない。◆(最近のユニクロパンツも無印パンツもなかなかオシャレになってきた。昔の中学生の白パンツとは違う。・・ユニクロ、無印は良いお店です。ごめんなさい)... 続きを読む
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◎2026年04月28日 ---- ボス ◎
◎2026年04月28日 ---- ボス ◎
- 葬式(4)
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今日の話は「葬式」とは少し異なる◆微妙な内容なので詳しくは書けないのだが・・。今から25年前、私の親しい友人であるA君は、妻子がありながら単身赴任先に彼女を作った。私は何度かA君の元へ遊びに行ったがいつもその彼女が一緒であった。A君の奥様より15歳年下の若い彼女だった。15歳年下の彼女を作ったA君のことを羨ましいとは全く思わなかった。その女性は少し我儘で気が強く、私への愛想も感じのいいものではなかった。それでも彼女がA君に献身的に尽くしていることはよくわかった。私はA君に「応援するよ」も「やめたほうがいいんじゃない」も言わなかった。その状況に関して私は極めて無関心を装っていた。A君と彼女との関係はその後10年ほど続き、いまから15年ほど前、彼女が結婚することになって別れた。別れ話はこじれなかった。A君もこころよく彼女の結婚を祝うフリをしたようだ◆私はA君とは年に2機程度は会っているが、それ以来彼女のことを聞くことはなかった。それがなぜか前回あったときにふと聞いてみた。「彼女は今どこに住んでるの?元気なの?」と。するとA君は「キノシタ、実は彼女、昨年死んだ」と言ったのだ。二人は会うことはなかったがどこに住んで何をしているのかは知っていたという。年賀状の交換くらいはしていたのだろうか。その彼女が死んだという。私は思わず「自殺?」と聞いてしまった。「うんにゃ、たぶん心臓らしい。突然死だって」◆興味あって、私はさらにA君に尋ねた。「別れて15年も経ち連絡も少なくなると訃報に接しても穏やかに受け入れられるんかい?」と。するとA君は即座に少し大きな声で「そんなことないよ!泣いたよ。一晩、泣き明かした。外が明るくなるまでオレはずっと泣いていたよ」と。◆私は少し嬉しくなった。もちろん彼女の死が嬉しいわけではない。このA君の態度が嬉しかった。情熱的で誠意がある。15年前に分かれた彼女の訃報に接して朝まで泣きとおす。こういう男はモテる。感情の起伏がない冷静な男ばかりが目立つような今、A君のような男が魅力的だ。◆葬式の話は今日でおしまい。... 続きを読む
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◎2026年04月27日 ---- ボス ◎
- 葬式(3)
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コロナ禍を契機に葬式の様子が大きく変化してきたように感じている。友人、知人が「亡くなった」との一報は入るのだが通夜や葬儀の案内が届かないことが多くなった。「家族葬にしますから」という理由が多い。なんとも寂しい。コロナ禍ではそれも止む無しであったがコロナ禍が明けた今でも葬儀の案内はほとんど届かない。◆葬儀を行わないから遺族は彼の「死」の情報をわざわざ発信しないことも増えた。そのため亡くなって数か月たってから訃報に接することも多くなった。あまりにも寂しい。◆義理で参加する葬儀は不要だが、逆に葬儀に参列してお別れを言いたい者にとっては遺族から届く「家族葬ですのでご弔問・ご香典・ご供花等はご辞退申し上げます」はもっと悲しい。◆こちらはお世話になった〇〇さんにきちんと「さようなら」を告げたいのだ。あるいは学生時代をともにした△△クンに「あの頃は楽しかったな。そっちで待っててな、オレももうちょっと経ったらそちらに行くけんね」と伝えたいのである。涙を流したいのだ。葬式に参列できないと「本当にいなくなったのかな?」とボヤっと感じるだけになってしまう。◆香典や供花を断るのはいいが参列を断るのは家族のエゴじゃないだろうか?亡くなった方も寂しいだろう。泣けなかった私は、いつどこで「さよなら」を言えばいいのだろう。... 続きを読む
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◎2026年04月23日 ---- ボス ◎
- 葬式(2)
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私が30歳代の後半だった頃だから今から30年くらい前の話だ。当時、私はある会社の取締役航空事業部長という肩書だった。世の中はバブル景気が弾け重苦しいムードだった。「取締役航空事業部長」といっても新規事業を興すことも許されずただ円滑なリストラを命じられていた。私にリストラを命じたのは銀行出身の常務。私は陰で「バカ常務」と呼んでいた。私だけではない、私の周りの取締役連中はみなそう言っていた。「銀行マンは血も涙も無くさないと出世できない。自分の出世のためなら相手の気持ちなど考えてはダメだ。そう教育されている」と言われていた。◆この年、私は13回も葬式に参列した。半分はほとんど知らない人。そして13回の葬式のうちの4回は自殺によるものだった。ある葬式は、死んだ本人とは私は会ったこともなく、自殺した彼の父親が仕事の取引先だった。この年に参列した13回の葬儀で私は一度も涙を流すことはなかった。義理や仕事上の関係で参列しただけだった。◆私の尊敬する先輩が常々私に言ってくれていた。「キノシタなあ、結婚式に呼ばれても無理して参列しなくてもいいけど、葬式は無理してでも参列しなさいよ」と。あの年、13回も義理で参列した葬儀。参列して良かったのか分からない。少なくとも参列したことを後悔することはない。◆今から30年前の「年間13回の葬儀参列」は私の人生で最多。... 続きを読む
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